裁判と原子力は相性が悪い | セオ・ハミルトンの弱いブログ

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お手やわらかにお願いします

福島第一原発の事故から10年以上過ぎて

「あの時はすごい地震だったから仕方ない」と

認識してる人もいるんじゃないかな?

 

でも

電力会社の社長は

あの地震の数年前に

「いままでに数回起きていて、将来起き得る高さの津波に

今ある防波堤は負けてしまいますよ」という

報告を受けていた。

 

そうすると

福島で家を追われた人たちは怒るよね

「何だよ!防げたじゃないか」と。

 

当然それで裁判もあったのだが

 

 

ここで難しいのは

もしぼくがどこかの会社のリーダーで

「来年か、あるいは200年のうちに来る津波対策として

今年14億円必要です」と報告を受けたら

そうするとやはり

「それ、今年じゃなきゃダメか?」とか

「株主は納得しないよなあ」って

防波堤の新設をためらうだろう。

 

 

そこで

今年やるか

数年先延ばしにするかは

経営判断でいいと思うんだよ・・

 

相手が「放射能汚染」というリスクでなければ。

 

 

おまけに

地震だけじゃないからね

考えなきゃならないリスクは。

 

 

リスクをすべて想定し尽くすこともできないのに

ひとまず出てきたリスクについてさえ

全部カバーしていたらお金が足りない。

 

 

そうするとどうなるかって言うと

「絶対安全」のラインを

経営に悪影響のない程度まで下げて

 

真の実効性は無いけどがんばったようには見える

企業的「絶対安全ライン」を設定するんだね。

 

裁判所が

「著しく配慮を欠けていたとは言えない」くらい

言ってれそうなやつ。

 

 

 

まあ

ぼくが裁判長でも

企業としてできるのはそのくらいでしょ!と

社長個人を厳しく罰する気にならないけどさ。

 

でも

それだと

全体として何だか変な感じ!

 

 

 

一つの社会に

「企業活動」と「原子力」と「裁判」の3つが

同時に存在するのは無理なんじゃないの?

と思えてくる。