職場のかつての同僚2名と
高校時代の同級生からの電話。

お悔やみというより
大丈夫?辛かったね、という電話

とてもありがたいはずなのに
鬱の私の心の奥に届かないのがわかる。
鬱状態の私は
人の優しさを受け止められない
でも鬱が慢性化している私は
人を嫌な気分にさせないための
会話のテンプレートを記憶の底から引き出してそれをなぞる。

私はロボットのようだ。
その時々に対応するテンプレートを蓄えていて
自動的にそれで対応している。
おはよう、といわれればにっこり笑っておはよう。

脊髄反射のようなもの。
でも心からのものではないから
その都度疲弊していくのだ。

こんな感覚は誰でもあるのだろうか?
仕事の場面だけでなく
私は日常的にそうなのだ。

ふと思う。
慢性鬱なのは、心からの言葉を言わないせい。
でも鬱なのに仕事を続けていられるのも、このテンプレートがあるからなのかもしれない。

だからこうして独り言のように吐き出すブログの中の私が
むしろ正直な本当の私なのだと思う。