自宅で死ぬということ・・・。

今回、当社後輩ケアマネが体験したケースについて報告したいと思います。
当ケアマネ事務所は、「在宅で最期を迎える応援をする」を理念に活動しております。



それは、某病院より1週間前に依頼を受けたのですが、一昨日に急きょ退院するということから、すぐに体制を整え在宅へと帰ってきたのでした。

1週間前の説明では、
①余命は出ているが、現在は歩行も可能で活動的である
②膵臓ガン(50才台)
③介護申請をすでに行った。また、調査も入院中に行う
④家族も本人も自宅での最期を希望している
⑤体制を立てて自宅に帰る(1日も早く)

という内容でした。
後輩ケアマネは、すぐにサービス事業所のピックUPに入り、訪問看護とレンタル事業者を手配。
往診24時間のDrを最後に決めかねていました。
(通常のお願いしているDrの地域が外れていたため時間を要しました)

そうこうしているうちに「一昨日」を迎え、本日退院するとの連絡・・・。
事務所全体で、「おいおい、急にかよ」となんて思うくらい急でした。

しかし、そこは経験のある後輩くん。
なんなく事業所やDrを手配し、午後の帰宅へ同行したのでした。

自宅でのカンファレンスを終え、帰社。
ここまでは簡単に書きましたが、実は退院まで本人にお会いすることができず状況が把握できていませんでした。
なかなか病院と連携ができずに、情報もかなり違うことがあったようです。

本人は結局、その晩に永眠されました。


今回、再度勉強をさせてもらえた気がします。
①若い方の対応は急を要すること
②介護保険は申請調査と終わらないと認定がでない
③病院内の状況は刻々と変わること
④SWの見解と病棟の見解は誤差が生じるということ

後日わかってきたことは、
急きょの退院は、病状は思わしくなくその日が調子が安定してたため自宅に帰したと、後にわかりました。SWの話だと、前の晩もトイレには介助だがいかれたとのこと。
また、介護認定調査も前の日までに終了していたこと。
特に病気の状況から、かなり緊迫していたようで病院の思いと家族の思いが急を生み出したようでした。
しかし、われらケアマネにはそれが実感できなかったのです。
電話でのやり取りでは、少し時間があり、体制が整い次第退院との思いがありました。

今回の勉強は、病院に訪問できなかったこと。
本人の状況をケアマネ本人の目で確認しなかったこと。
また、上記の4つも複雑に絡んだことなどです。

帰宅後、半日で永眠されたことはいままでに経験がありません。
今回のケースを深く考察して次回には生かしたいと思います。


沢山のことを教えていただいた今回の利用者のご冥福をお祈りいたします。
追加、エピローグです。

(おいおい、前回で完結したんちゃうの?! BY キリン)


そうなんですが、その後にあの緊急事態の2回目が起こってしまったのです。

6ヶ月後の9.21  そう、首都圏を襲ったあの台風なんです。

あの台風は勢力もあり、関東に被害も予想されてました。
前の日から各事業所にも連絡をし、対策を考えていましたのですんなりと対応できると考えていました。

しかーーーーし、ここにまさかの事態がおこったーーー!!のでした。

当日は事業所どうしでは朝から台風の予想でもちきりで、デイサービスなどは「早がえり予定してます」とか、へルパーは「行き過ぎるまで対応します」等、対策案が個々ででてきていました。
そうなんです、緊急事態とは台風でも事業所の対応でもないのです。

その事態とは・・・。


「介護者家族」のことなんです。

当日、事業所の対応は早かったんです。午前中には台風情報で各事業所とも対応が完了して安心していました。
でも、事態は午後に起こりました・・・。
昼過ぎ、1本の電話が入りました。

「娘さんに連絡がとれません」

3.11の日に帰宅難民になった利用者に入っている事業所のサー提からです。
この日、へルパー事業所も午後のサービスを変更しているところが多かったのですが、この利用者さんの所も前日から打ち合わせをし、午前中の様子により変更をするはずでした。

「夕方に一番強くなりそうですので、今日は娘さんの早帰りをお願いしています。」

と打ち合わせしていたのですが、午前中の確認ができないとのことです。

すぐさま、娘さんへメールを打ちました。(こんな時のためにアドレス確認しときました)
この時、時間はお昼の13時。
忙しい仕事でしたので、すぐには返信がきませんでした。

KABAももしものことを考えて、すぐさまへルパー事業所には、「今日も覚悟お願いします」と報告・・・。

そして、3時過ぎに返信がきました。
「電車がとまって帰れません・・・」

オーマイゴット!!

やはり、そうきたか~!
外は風と雨でごったがえしていますからそんなの承知のうえですが、とりあえず叫んでみました!!

しかし、もう手は打ってありました。
妹さんへ連絡し、来てもらうことを伝えてありましたのでした。
前回の3.11も対応してくれた方です。
1時間を過ぎても連絡が取れませんでしたので、先に対応をさせていただきました。

家族に連絡ができない時点で動き始めていたので、次の対策が思いついたのですが、先日の事態とは少し違いますので、市町村の応援をなんて考えもできません。

結局、へルパーは通常サービス変更せず、普通に入り午後8時には妹さん到着で交代。
家族は12時過ぎに帰宅できたのでした。

あとで本人から当日の話を聞きました。
「昼の時点で上陸は確認していた」
「しかし、電車が止まるとはおもっていなかった」
「5時過ぎには通常に戻るとおもった」など、

これは、東京に務めている方にも同じような感覚があるのかもしれませんが、「東京は安全」「交通はしっかりしている」など、都市伝説化している感覚と思われます。
また、ビルの中での仕事なんであまり感じないのです。
ビルの中は静かで明るいし、周りの同僚には家で待つ人も少ないので気にする人も少ないのが現状なんです。

そうです、今回は人災なんです。
家族の安易な気持ちが引き起こした人災でした。


「もー、前の日から打ち合わせた意味ないじゃん~!!」
「さらに、早くから報告メールだしてるのに~!」と、思うKABAちゃんでした。

でも、前回の帰宅難民対応で培った気持ちで、早めに対応はできたのでした。


PS、ちゃんと時間オーバー分は自費請求にさせていただきましたとさ・・・。
第4話(完結編)

前3話までで、3.11以後の緊急時のお話を書いてきました。
最後にKABAの今後の見解等をカキコしていきたいと思います。


あの時に、あの時期にいろいろな事件や物事が起きました。
当社や各事業所の対応、市町村の対応など、今後考えて行かなければいけない問題が多数発生しました。

まず、KABAが考える対応

その1
災害時当日の家族の帰宅困難時の日中独居者の対応
これは、今回現実にすごい大変でした。
たまたま、へルパー事業所が対応をしてくれたので長時間滞在してもらえましたが、本来は当のへルパーさんだって困ってしまうはずです。
たまたま今回のへルパーさんは、年配の方で子供さん等はいらっしゃらず、すぐに帰宅しなくてもよかったとのことですが、業界のへルパー状況を考えればほとんどありえないことです。

よって、こんな時には近くの(地域で指定する必要がありますが)1箇所のデイサービスへ集め、数人で対応できる体制をつくることが必要と感じます。
しかし、そこにもリスクは生じると思いますが、ここには市町村の対応も必要です。

千葉市は6区の地域に分かれていますが、地域により家族の職業方向もあり、稲毛区、美浜区、花見川区は東京方面へ勤めていることが多く、帰宅困難になる確率が高い地域です。

そのかわり、この地域は民間デイサービスが数多くあり、市町村はそんな事業所へ打診することが必要と思います。日ごろから緊急時集合施設として1箇所程度指定し、その時にはその地域の利用者を集めるようにしてほしいです。(特養などの福祉施設もよいですが、入居者の対応もあり不適切だと思われます)

ちょっと偏りますが、家族へバトンタッチができる利用者は除きます。
あくまで、日中独居で帰宅困難な家族が発生した場合です。

その2
電源の確保の対応
この電源も、まさか東電が電気の供給を止めるなんてこの世の中考えてもいない事故です。
普段から常時必要な方は普段から簡単にインバーターを購入しておけばよいのですが、まだ間もない患者や家族はそんなことも考え付きませんし、前々から準備できる事業所(訪問看護等)の職員もあまりいないのではないでしょうか?!

よって、こんな時の為に、

第一は、吸引器や酸素の長い利用の方々は今のうちに対策としてインバーターの購入をお勧めします。
今回の災害だけに限らず、使用することもあると思いますので・・・。

第二は、各事業所(医療系)は是非、事業所に2個くらいは配備をお願いしたいな・・・。

第三は、市町村でもインバーターを20個程度保管をしておいてほしいですね。
これは、患者だけでなく、地域の災害で電力が復旧するまで近くの車から確保できますし、いろいろな用途に使えるからです。
(KABA事業所も、すでに2個保有してます)

その3
さてさて、最後はガソリンの確保についてです。
これは、賛否両論がありますがあくまでKABAの見解ですのでご了承願います。

これは、絶対に市町村対応しかできませんね。
なぜ市町村対応なのかは、そうあの日の光景で、「警察や消防が並んでるの?!」を見てしまったからです。
あの日、直接災害はあまりなかった千葉市。
しかし、交通はマヒし警察や消防はてんてこ舞で大変でした。動き回るには車両が必要ですね。
そんな大事な車両も緊急対応の時間をつぶしてまでも給油時間にとられてしまうなんて、「ありえない~!!」と思います。
また、同等に介護車両と医療系車両の優先もお願いしたいとこです。

よって、ここも市町村の「緊急時のガソリン買占め?!」が必要ですね。
言葉は硬いんですが、千葉市は普段から3区で緊急時用に3箇所程度のスタンドと契約し、ガソリンの確保をしとかないといけませんです。
緊急車両用で、2・3日は動ける用意をしなくてはだめでしょう~!!

あの日の数日後にお触れできた、紙切れ1枚をダッシュボードにだして、皆さん並んでいるところを急に前には入れませんから~!!


以上、当時の感想として市町村に意見を申し出たいと思っています。
現実化できるは別として、言わなきゃはじまりませんからね・・・。

(でも、千葉市も当時の災害復旧作業費が加算で、予算が取れない状況なんですけどね)

1つ1つクリアできるように、活動しています~!!
他市のケアマネさん達も人ごとではないですよ~!!

以上、KABAの完結意見でした。(ペコ)
第3話

ガソリンはいつ入れる?!

さてさて、昨日まで3.11当日と次の日ときました。
今回は、震災3日後のことです。

昨日までなんとか訪問等をしながら、利用者の安否等を確認をしながら過ごしていましたが、

「んっ?!」

車のガソリンメーターが下がっていたのに気づきました。

「そういえば、震災前にいれたから気にもしてなかったな」

そうそれまで利用者のことで頭がいっぱいで自分たちのことは頭になかったのです。

「今日はガス満にしておこう・・・。」と、

帰りにいつものスタンドへ向かいました。
でも、昨日もなんか渋滞をしていた場所が何件かみたような気がして、そのスタンドへ向かう途中嫌な悪寒、もとい予感がしたのでした・・・。

「あら?あらら????」

通るところ通るところのスタンドがいっぱいで並んでいるではあーーーりませんか!!
挙句に、閉ってしまっているとこも。

まだメーターもふたメモリは残っていたので、「明日にするか・・・」といつものスタンドも混んでいたのでスルー。
これがことの始まり・・・。

次の日、出金途中の朝にいつものスタンドへ。

「おいおい~!!」

昨日に増して、30台、いやいや、50台は並んでいるでないですか~!!

「あちゃ~、昨日入れておけば良かった」と思うのも遅く、長蛇の列。

「そうか、地震でガソリンが仕入できなくてスタンドが麻痺してるのか?!」

そうなんです、地震の影響でスタンドにガソリンが届かなく、タンクの小さい、または貯蔵の少なかったスタンドは休業に追い込まれ閉店し、また、人の心理で入れなくちゃと思う人々でごったがえしていたのでした。
よく見ると警察や消防も並んでいます。(大変だな)

KABAはそんな人たちを横目に通過。

「また、別の場所か夜にでも入れよう」と思ってしまったのでした。

夜になり帰りがけ、スタンドへ・・・。

「えーーーーーーーー!!」、いつものスタンドクローズ・・・。

そりゃそうだよな、朝の列みればそりゃ閉まるわな。(トホホ)
結局、その日も入れられず、次の日に近所の並んでいるスタンド1時間かけて入れましたとさ・・・。

5日目にKABAは入れることができました。
そして、市役所からの御触れもこのころ届いたのです。

緊急車両登録証
以下の車両は、各スタンドにおいて優先的にガソリンを給油することができる。
しかし、その判断はスタンド事業所にゆだねる、云々等。

なんだーこりゃ~!!
アホかい、震災数日たって、指示が来たのがこの程度かい~!!
あの日、警察や救急もならんでいたのはなんなんだよ?
もっと気の利いた案はないんかい!!


と、千葉市の姿勢に憤慨するKABAでした。

まだまだ、続きますが総括の第4話へ
第2話

在宅吸引や酸素の電源

3.11、その日は静かに迎え、恐怖の1日となり、今まで経験したこともない展開をもたらしました。
第1話に続き、別の寝たきりの利用者のお話。

その方は脳梗塞で寝たきりとなり、何とか医療や介護サービスの支援をうけ、在宅生活をおくれる状況でしたので、そんな緊急事態の対処方法なんて考える暇も余裕もあるわけがないことを前提としてください。

夫が寝たきりで妻は、懇親的に介護を一生懸命していました。
(余談ですが、この方3ヶ月の余命が告げられていましたが10ヶ月も頑張りました)
脳梗塞で呼吸や嚥下も弱く痰の吸引が頻繁にある方でした。
また、何年ぶりにみたでしょうか、床ずれが15㎝もあるクレータをおもちで、毎日訪問看護が消毒にきてもくれていました。

そんな、奮闘していた最中に3.11は起こりました。

当日、電機は止まることなく供給されていましたが夜の放送で地域により電力の停止もあり得るとの発表を聞き、訪問看護から夜に電話がありました。
(第1話の方が落ち着いた矢先です・・・)

これまた、予想にもしていない発言です。

訪問看護
「明日からあの地域が停電のようです。○○さんのとこ電源確保お願いします」
KABA
「電源確保?!」
「そんなのはレンタル事業所かメーカーが手配するんじゃ?!」

次の日にやっとこレンタル事業者担当に連絡がつき、

担当
「今、状況を確認していますが、メーカーは呼吸器で手一杯のようです」

KABA
「どうすんじゃ~?!」と

悩んでいると当社の若手?ケアマネが、
「車からとれば!?」

とナイスな発言をするではないですか!!

そうなんです。シガライターから電源を確保すれば、急場はしのげるのです。
すぐさま訪問看護へ連絡し、他に困っているケースの数を聞き、オートウェーブへ向かいました。
着くや否やインバーター売場へ直行し、4セット確保。(残りありませんでした)

それと、途中で量販店へも立ち寄ります。
車から室内までの延長コードの確保です。15mと長いものにしました。室内を外の駐車場から這わせると何メートルになるか予想もつかなかったので、長め選びました。これは残り2個。

その足で、すぐに利用者宅へ向かい、自我工作で作成。
奥様にも使い方を教え、停電対策をし、その足で今度は訪問看護事務所へ。
インバーター2個と延長コードを渡し、少しホッとする。

この時、時間は夕方の5時を回っていました。
若手ケアマネと一緒に、昼に買い出しに出て、終わったのが夕方。

その間にも、他の利用者の安否の確認電話を逐一入れる。

2人で運転を交代しながら、電話をしながら・・・。

でも、この時ほんとに各事業所のメンバーも奮闘してくれていました。
私たち2人では、なにも進まなかったと思います。

事務所に帰って、昨日の津波報道を初めて知りました。
また、我が事務所地域も、道路が波打ち、さらに電柱が曲がり、液状化現象で道路も通行止め。
よくもまー、買い出し、訪問し、回ってこれたことを痛感した一瞬でした。

それから2日後、第3話の状況に直面するのでした・・・。