阿部一族(1995年テレビドラマ版) | ある意味、恋してるⅡ

ある意味、恋してるⅡ

北村一輝さんと米米CLUB(石井竜也含む)についての追っかけ記事だったはずが、最近記事内容に脈絡がなくなりました(今は真田広之さんや世良公則さんにも傾倒中)。
というわけで、今後は思いのままに津々浦々・・・笑




【松竹DVD倶楽部/ウィキペディアより】
寛永18年春。肥後の藩主、細川忠利が病死した。病の床で忠利は家臣に殉死を禁じたが、寵臣たちが次々と追い腹を斬る事態に。息子の新藩主、光尚は殉死差止めの令を出した。
忠利の遺言を守ってきた阿部弥一右衛門だが、臆病者扱いの誹謗中傷が高まるや、一族の名誉のため殉死を決意。光尚は、令に背いたとして立腹し、阿部の知行を息子5人に分割する。

納得のいかない長男の権兵衛は、忠利の一周忌にもとどりを斬って抗議。打ち首にされる。
次男、弥五兵衛以下阿部一族は、兄の首を奪還して屋敷に立て篭もる。

江戸時代初期、細川藩で実際に起きた悲劇。様々な人間模様と、武士の心の機微を壮絶に描いた傑作。

  キャスト 
阿部弥一右衛門…山崎努
阿部弥五兵衛…佐藤浩市
おいち…藤真利子
阿部権兵衛…蟹江敬三
阿部市太夫…中嶋俊一
阿部五太夫…竜川真
阿部七之丞…真矢武
キヌ…渡辺美佐子
細川光尚…青山裕一
畑十太夫…六平直政
長岡佐渡守…織本順吉
有吉頼母佐…北村英三
長岡監物…西山嘉孝
門弟…甲斐道夫、崎津隆介、関根大学
高見権右衛門…浜田晃
野村庄兵衛…片岡弘貴
添島九兵衛…谷口高史
林外記…石橋蓮司
竹内数馬…杉本哲太
細川忠利…仲谷昇
たえ…麻生祐未
柄本又七郎…真田広之
ナレーター…中村吉右衛門 (2代目)

スタッフ 
原作:森鷗外 『阿部一族』
監督:深作欣二


※『阿部一族』(あべいちぞく)は、森鷗外が著した短編小説。江戸時代初期に肥後藩の重職であった阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材に創作され、大正2年(1913年)1月に『中央公論』誌上に発表された。栖本又七郎(作中では「柄本又七郎」)などの証言を元にした『阿部茶事談』を下敷きにしている。【ウィキペディアより】


👆上記ウィキペディアの注釈を詳細に見ていくと説明があるのですが、江戸時代初期に実際にあった肥後藩中の阿部一族叛乱事件の史実と、森鴎外原作小説の「阿部一族」の内容には、齟齬があるようなのです。
なので、ここではあくまでも森鴎外の小説を元にしたフィクションである本作品の私的感想を述べていきたいと考えています。


これは、現代人の感覚では、到底理解し難い理不尽な物語ですねしょんぼり
だからといって、今の時代の価値観に当てはめて、
「こんな胸糞悪いストーリー、あり得んから、●ソドラマだムカムカ
と憤るのもまた違うかな?と思います。
そもそも、殿様が死んだからといって、何で家来が殉死(今で言う後追い自殺)しなきゃならんねん!?
しかも、何でそれをまた、他人に強要されにゃならんねん!?
てか、
「あれだけ殿に目をかけられていたのに、あいつが殉死しないのはけしからん!
と陰口叩いてるお前らは、何で殉死しないねん!?
といった感じで、物語の一連の出来事を現代の感覚に置き換えたら、確かに理解不能なことばかりですし、
「そんな考え方は間違っている!
となるでしょうショボーン

でも、過去の時代には、そうした理不尽がまかり通ってしまう社会背景が確かにあって、そうした過程を経て、先人達が試行錯誤してきたからこそ、今の私達の人権感覚が育ってきたのだということは、頭に置いておく必要があると思います。


で、そうした観点を念頭に置きながら、まず認識しておくべきなのは、この阿部一族の叛乱事件が、戦国の世から、徳川幕府が支配する泰平の世の中に移り変わる過渡期で起きた出来事だということです。

日常的に合戦に駆り出される戦国の世ならば、武士は自身のアイデンティティを保ちやすくもあるでしょう。
が、戦のない平和な世の中が続けば、彼らはどこに自分の活躍の場を見出せばよいのかが、わかりにくくなってしまいます。
そうした、平和な世の中に生きる武士の不毛さを薄々気付き始めたからこそ、多くの武士達が死した殿様にさえも忠義を尽くす
【殉死】
をすることで、自らのアイデンティティを保とうとした・・・と考えるのは、穿った見方ですかね?キョロキョロ

ただし、そんな形のない
【武士の面目や意地】
の為に、結果的に阿部一族が滅亡の道を辿ってしまったのは、それこそ不毛としか言いようのない悲劇でしょうショボーンダウン


しかし、深作欣二監督は、そんな救いようのない悲劇の物語を、SPドラマの枠内には収まりきれない一大エンタテインメント作品に、見事に仕上げたと感じましたアップ




元々短編小説の短い話をドラマとして膨らませているとのことですが、全ての展開に無駄がなく、いつもの深作映画に比べれば、派手さはないものの、登場人物達の心情がよく伝わってくる
【静】
の演出は、非常に見応えのあるものになっているといえます。

例えば、阿部家当主の弥一右衛門(山崎努)が、殉死を決意して一族に想いを告げた後、最期の舞いを舞って別れを惜しむ場面。




また、藩に反旗を翻す決断をし、長年仕えてくれた家臣達に弥一右衛門の遺族達が暇を出す場面・・・。




これらは、静かな描写の中にも、登場人物達の辛さ、悲しみ、やるせなさが伝わってくるシーンになっていて、私は見ていてとても胸を打たれましたぐすん


そして、それとは対照的に、阿部一族を滅亡への道筋に追い込んだ悪役達(主に石橋蓮司www)




の顔が白塗りなのは、平和な世になって、
《命を惜しまず、主君に尽くす》
という武士の矜恃を忘れた者達を表しているのかもしれません?

本当にこの手の悪役をやらせると、蓮司は上手いですよね~拍手
観ていて、
「こ、此奴めがッ!!ムキー
と腹立たしくなってきますもの(笑)
けれども、彼らの存在を徹底して勧善懲悪的に【悪】に描いたことで、視聴する側は、より阿部一族側に感情移入しやすくなったと思います。
その辺の演出は、さすが深作監督、わかってらっしゃるひらめき電球という感じですねニコニコ


と、そんな全体的に重い空気が支配する物語の中で、唯一救いになる・・・というか、阿部一族の側に近い立場で事の顛末を見届ける、ある意味美味しい役どころなのが、
ヒロユキ様演じる柄本又七郎です(原作小説の原案となった『阿部茶事談』の語り手)。

又七郎は阿部家の隣人で、次男=弥五兵衛(佐藤浩市)の親友という立場ということもあって、弥一右衛門の殉死に始まった阿部家騒動の顛末を常に案じながら見守っていました。




しかし、又七郎の願いとは裏腹に、阿部一族は悲劇への道筋を一途に辿ってしまう・・・。
そしてついに、藩が阿部家討伐の討ち手を差しむける中、妻のたえ(麻生祐未)を通じて、阿部家の子供達に菓子を入れた馬の人形を届けさせるといった情を見せる一方で、藩命を受けていないにもかかわらず、自ら討ち手に参加するといった行動に出る。
その際に又七郎が言った言葉、




は、彼のどのような心情を物語っていたのか??
その説明は、作中で示されてはいませんが、私が推測するに、阿部家の滅亡が既に避けられない運命ならば、せめて引導を渡すのは、隣人として親しく付き合ってきた自分でありたい・・・との想いがあったのではないか?と🤔
特に、親友である弥五兵衛は自分の手で討ち取り、見送ってやりたい・・・といった願いが、その行動に込められていたのではないかと私は感じました。

その又七郎と弥五兵衛の槍での果たし合いは、非常に見応えありましたねアップ
ヒロユキ様の殺陣は定評あるものの、正直、佐藤浩市さんがあそこまで出来るとは思っていませんでした(失礼🙇‍♀)
どちらが討たれても、空しさしか残らない不毛な闘い。
その悲しみが、2人の見事な闘い振りに表れていた、素晴らしい場面だったと思いますおねがい





闘い終わってみれば、阿部家側の18名を討ち取るのに、藩側は34名もの死者を出すという失態振り。
その中で、最大の武勲を新藩主光尚(青山裕一)に評価された又七郎が言い放った言葉、





これは、たかが阿部家一族郎党の18名を討ち取るのに、その倍近くの死者を出した藩の討ち手側の不甲斐なさを皮肉る意味と、またそれだけの痛手を藩に与えた阿部一族を讃える意味合いを込めた、又七郎なりの反骨精神の表れだったのかもしれませんうーん

ちなみに、このセリフは原作小説にあるものであり、その原案である
『阿部茶事談』
の題名の由来であることは、言うまでもありません。