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 この作品は、2002年10月に某国営放送局向けのドラマ脚本シナリオ案として納品した五本のうち、不採用となったものである。最終選考まで残ったが、ロケに時間がかかる、時代考証が広範に必要、他国の許諾や政治的背景が放送後の問題となりうることが主な理由となった。

 初稿なので、ロケハンもしていないし登場人物の設定等もほとんど作りこんでいない。時代考証もしていないので、事実関係の確認のうえでつらい部分もあるかもしれない。

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■ 導入  イエジの十五歳の誕生日は侘しいものだった。 極北の地ロスカトの村で年老いた母とまだ十一歳の妹とイエジの一家は、もう何年も前に政府から支給された擦り切れた薄い茶色の上下に身を包み、むき出しの足の指先が見える粗末な靴で厳しい冬を乗り切らねばならなかった。

 イエジの父親は一昨年他界した。1907年、イエジが三歳のとき、一家は政治犯としてワルシャワ郊外ミルカトからこの地シベリアへと抑留された。イエジの記憶には、父親が育んだ黄金色に広がる小麦畑も母親が焼き上げた黒パンの匂いもない。

 父親の逮捕は不運な偶然の賜物だった。ロシアからのポーランド独立が機運として盛り上がった1905年、ワルシャワへ向かう荷車に便乗させてくれと一人の男が父親に呼びかけた。父親は特に疑うことなく男を荷車に乗せてやった。みすぼらしい身なりながら、鋭い眼光を湛えたこの男が、ポーランド独立の指導者の一人であることに父親は気づかなかった。

 特に事件もなくワルシャワの中央市場に到着した父親は男を下ろして、積んできた野菜や妻の編んだ衣類などを市場で売り払ったが、いざ帰路につこうかというあたりでロシアの憲兵に拘束された。目撃者が、父親と独立主義者が肩を並べてワルシャワへ来たことを密告したのである。二年間の監禁のあと、幼い兄妹を連れてシベリアへ送還された。

 そのあと一家を襲った暗転を、イエジは知らない。実際の年齢以上に老いた風に見える母親は、父親ともども頑としてそのことを語らなかったのである。ただ、シベリアへ抑留される途中で病死した兄のことについてはまるで昨日のことのようにイエジに語った。

 その母親の命日は、イエジの誕生日となった。母親がイエジの誕生日を祝うために作ったささやかなご馳走を前にして、泣き崩れる妹をイエジは抱きしめる。この日から、身寄りのなくなったイエジは妹と二人で極寒のシベリアを生き抜かねばならなくなったのである。