父に誘われて朝から大阪に行ってきました

朝からわたしは体調がよくなくて

機嫌よく出来ない状態だった

 

 

ランチを終えて道頓堀を散策する予定だったけど

これ以上無理をするのはやめようと

父が楽しみにしてただろうけど

そう父に伝えたのでした

 

 

 

 

 

 

返ってきた答えは 「前もそうやったな」

その言葉は「いつも お前は調子が悪いと」

わたしの中でそう変換されたのでした

 

 

 父は私のこと何も分かっていない!

そんな思いから キツイ言葉だと

父に言葉を伝えのでした

 

 

 

わたしは父のことを長い間 独りよがりで

自分の事しか考えていなく 自分を優先にする

そんか気持ちが強い人だと子供の頃から思っていた

 

 

家族のことを大切にせず それよりも

家族以外の人のことを大切にし

それはみせかけの 表向きの顔だとも思ったこともあった

 

 

しかし 実家に戻ってきて父の側にいるようになって

それは間違いだった

周りから沢山の信頼を得ていることを感じた

電話で会話を聞いていると 長年

相手のために想いを持って接していることを感じ

更に尊敬の想いが湧いたのでした

 

 

 

でも まだまだ父に対する怒りや哀しさがあって

つい数日前もなぜ私の嫌がることをするんだろう

という疑問の出来事があったのでした

 

 

 

 

今日父から本当の思いを聞けたとき

いままで父がわたしにしてくれた事は

父としての愛情だったんだと

 ただ私の喜ぶ姿が見たかっただけなんだと

 

 

 

父の想いを聞いたとき居たたまれなく

わたしは苦しくなってしまった

その言葉を聞いた直後は嬉しさが込み上げ

だけど時間が経つにつれ

やるせない そんな想いが湧いてきたのだった

 

 

わたしだけ こんな幸せな思いをしていいの?

わたしは 幸せになっていいの?

 

 

まるで 幸せになっていることに

とうとう気がついてしまった罪悪感がでてきた

 

 

父より幸せになっていいのか

父を置き去りして自分だけ幸せになっていいのかって

父を通して自分の根底の思い込みが出てきたのでした

 

 

 

私にとって父にキツイ言葉を言われたと感じた 

その言葉のあと父はこう伝えてくれた

 

 

「お前に気を遣っているんや」 って

その言葉が気になって

 

 

駅から自宅に帰る車中で尋ねた

でもなかなか答えてくれない 違う話しをしたり 

そんなに繊細にならないでください

ってそらされたり

 

 

表情からして 照れて言えないのか?

と感じながら

 

 

「父の本当の気持ちを知りたい

わたし誤解してることが多いと思うの」 と

 

 

ようやく 父から出てきた言葉は

「あなたのね 喜ぶ顔が見たくてしたんです」

いつもと変わらず穏やかな表情で伝えてくれた

 

 

 

思いも寄らない衝撃の言葉に

あれも これもと それも あの事も?と

色んなことが蘇り子供の頃 

独りよがりだと思っていたことも

勝手にするあのことも?と

いろんな出来事が湧いて出てきた

 

 

 

「旅行に誘ってくれてたのもそうなの?」

「そうや」と

今日の大阪行きも そんな想いがあると

答えてくれた

 

 

 

自分の居たたまれなさの想い気がつき

自分の中の幸せに対する思い込みに気がつき

父の愛情の更に奥の想いに気がつき

人を自分を信頼できず だけど

自分も人も信頼したくて だけど

そこを引き合いゆずれない状態だったように思う

 

 

 

自分の中の思い込みの膝がガクッと

崩れるような思いがし

だからわたしは人を本気で愛するのが

怖かったのかも知れない

 

 

 

わたしはずっと父が行きたいから

私を誘うのだと思っていた

私だったら気楽だからそう父が言っていたから

 

 

 

私がして欲しくないことを何回も父がするということも

父なりに考えて喜んで欲しくてしてたのかも知れない

あれは父としての愛情だったんだと

 

 

父に 何が食べたい?って希望をきいても

「なんでもええ」 という言葉が殆どだった

これしてもいい? 「ええよ」

これ食べていい? 「ええよ」って

 

 

 

その心地よい「ええよ」っていう父の言葉の裏側は

「あなたが喜んでくれるんが嬉しいんや」

に今日変わった