3月14日
私にとって忘れられない日。
私が小1の時に初めて出来たお友達。
毎日一緒にいて、学校の行きも帰りも一緒。
学校から帰って来ても
一緒に遊んでいたお友達。
その子の命日。
小1の時から小学校の先生になるのが夢で、
ストレートで夢を叶えた矢先に
ガンが見つかって25歳で亡くなりました。
高校からは離れてしまっていたけど、
通学で会えば途中まで一緒に行っていました。
私が就職をした時、
私の勤めていた店に何回か来てくれりして。
とても忙しい時に来てくれた時。
お客様がたくさん並んでいる時間帯。
友達は柱の奥から見ていて、
私が少し手の空いた隙に来てくれた。
春先で暖かい時期に、丈の長いダウンコートを着ていてとても痩せていて。
元々色白の子だったけど、もっと色が白くて
セミロングだった髪型がベリーショートになっていました。
「うわ!来てくれた⁉︎てか、どうしたん⁉︎髪…え?」
と驚く私にニコッとしながら
「ちょっと病気してな(笑)顔見に来ただけやねん。会えて良かった。忙しい時にゴメンね、お仕事頑張って!じゃあね」
と言って帰ってしまった。
その姿に直ぐに悪い病気だと分かりました。
その後、同級生から亡くなったと聞きました。
直ぐに母と自宅に行かせてもらって、
まだお家にあった骨壷を触らせてもらって
泣いた。泣いても泣いても、もう会えない。
友達の声や笑顔をもう見れない。
今でもふと友達の事を思い出すと、
辛さがこみ上げてきて涙が止まらなくなる。
あの日の、あの最後の姿が
しっかりと目に焼き付いている。
ずっと毎年3月になると友達を思い出し、
毎年3月に夢に出てきてくれます。
だから、にっちゃんの移植が
3月4日だと決まった時に
何となく14日頃に生着になるかな…
友達が助けてくれるかな。
と思っていました。
3月9日からフィルグラスチムという
白血球を上げる皮下注射が毎日始まり、
採血もだいたい2日置きになりました。
そして15日の採血で、
にっちゃんの白血球が作られて始めたのが分かりました。
あ〜私が自宅に戻る日に嬉しい知らせ。
しかも15日。
「やっぱり友達が守ってくれたんや」
命日の翌日なんて。
側にいてくれてるんかな…ありがとう😊
っていう暖かい気持ちでいっぱいでした。
そして15日の午後、
1泊だけ看護師さんにお願いをして
卒園式に出席する為に自宅に帰りました。
卒園式。
お兄ちゃんは入園した時から
母子分離に泣く事もなく毎日楽しく
笑顔で通っていました。
最初はまだ、
仮面ライダーや戦隊ヒーローが大好きで。
家でも幼稚園でも仮面ライダーばかり。
私が下手くそに裾上げした、
ぶっかぶかの制服と体操服を着て、
幼稚園で戦いごっこをして遊んでいました。
好き嫌いがあった食べ物も、嫌いな物でも食べれるようになり、出来なかった事が出来るようになって大喜びしていた。
周りのお友達には兄弟がいて、僕も兄弟欲しいな〜と言い始めた頃に、にっちゃんがお腹にやってきて。
お兄ちゃんになるのをとても喜んでくれた。
思い描いていた兄弟では無かったけど、
にっちゃんの事を大切に想ってくれる。
優しいお兄ちゃんになってくれました。
仮面ライダーが大好きだったのに、
年長さんになったらゲームが大好きになって。
パイロットになるのが夢だったのが、
にっちゃんが生まれてから、
夢がお医者さんに変わった。
3年間でいろんな経験をさせてしまったけれど、寂しい経験も含めてとても成長してくれたお兄ちゃんでした。
卒園式で証書を貰いに行く姿、
歌う姿。ぶっかぶかだった制服も、手直しを全て解いてピッタリになって、
とてもカッコいいお兄ちゃんを見る事が出来ました。
卒園式の後にある謝恩会にも出席をして、
謝恩会を終えて急いで帰って
家族みんなで車で病院に戻りました。
お兄ちゃんはその日から小学校入学までは、
私と一緒にチャイケモで過ごしました。