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私にとって忘れられない日。



私が小1の時に初めて出来たお友達。

毎日一緒にいて、学校の行きも帰りも一緒。

学校から帰って来ても

一緒に遊んでいたお友達。




その子の命日。




1の時から小学校の先生になるのが夢で、

ストレートで夢を叶えた矢先に

ガンが見つかって25歳で亡くなりました。


高校からは離れてしまっていたけど、

通学で会えば途中まで一緒に行っていました。

私が就職をした時、

私の勤めていた店に何回か来てくれりして。


とても忙しい時に来てくれた時。

お客様がたくさん並んでいる時間帯。

友達は柱の奥から見ていて、

私が少し手の空いた隙に来てくれた。

春先で暖かい時期に、丈の長いダウンコートを着ていてとても痩せていて。

元々色白の子だったけど、もっと色が白くて

セミロングだった髪型がベリーショートになっていました。




「うわ!来てくれた⁉︎てか、どうしたん⁉︎え?」




と驚く私にニコッとしながら




「ちょっと病気してな(笑)顔見に来ただけやねん。会えて良かった。忙しい時にゴメンね、お仕事頑張って!じゃあね」




と言って帰ってしまった。




その姿に直ぐに悪い病気だと分かりました。




その後、同級生から亡くなったと聞きました。

直ぐに母と自宅に行かせてもらって、

まだお家にあった骨壷を触らせてもらって

泣いた。泣いても泣いても、もう会えない。

友達の声や笑顔をもう見れない。

今でもふと友達の事を思い出すと、

辛さがこみ上げてきて涙が止まらなくなる。



あの日の、あの最後の姿が

しっかりと目に焼き付いている。




ずっと毎年3月になると友達を思い出し、

毎年3月に夢に出てきてくれます。




だから、にっちゃんの移植が

34日だと決まった時に

何となく14日頃に生着になるかな

友達が助けてくれるかな。

と思っていました。




39日からフィルグラスチムという

白血球を上げる皮下注射が毎日始まり、

採血もだいたい2日置きになりました。





そして15日の採血で、

にっちゃんの白血球が作られて始めたのが分かりました。





あ〜私が自宅に戻る日に嬉しい知らせ。

しかも15日。

「やっぱり友達が守ってくれたんや」

命日の翌日なんて。

側にいてくれてるんかなありがとう😊

っていう暖かい気持ちでいっぱいでした。





そして15日の午後、

1泊だけ看護師さんにお願いをして

卒園式に出席する為に自宅に帰りました。




卒園式。




お兄ちゃんは入園した時から

母子分離に泣く事もなく毎日楽しく

笑顔で通っていました。

最初はまだ、

仮面ライダーや戦隊ヒーローが大好きで。

家でも幼稚園でも仮面ライダーばかり。

私が下手くそに裾上げした、

ぶっかぶかの制服と体操服を着て、

幼稚園で戦いごっこをして遊んでいました。

好き嫌いがあった食べ物も、嫌いな物でも食べれるようになり、出来なかった事が出来るようになって大喜びしていた。

周りのお友達には兄弟がいて、僕も兄弟欲しいな〜と言い始めた頃に、にっちゃんがお腹にやってきて。

お兄ちゃんになるのをとても喜んでくれた。

思い描いていた兄弟では無かったけど、

にっちゃんの事を大切に想ってくれる。

優しいお兄ちゃんになってくれました。

仮面ライダーが大好きだったのに、

年長さんになったらゲームが大好きになって。

パイロットになるのが夢だったのが、

にっちゃんが生まれてから、

夢がお医者さんに変わった。

3年間でいろんな経験をさせてしまったけれど、寂しい経験も含めてとても成長してくれたお兄ちゃんでした。


卒園式で証書を貰いに行く姿、

歌う姿。ぶっかぶかだった制服も、手直しを全て解いてピッタリになって、

とてもカッコいいお兄ちゃんを見る事が出来ました。


卒園式の後にある謝恩会にも出席をして、

謝恩会を終えて急いで帰って

家族みんなで車で病院に戻りました。

お兄ちゃんはその日から小学校入学までは、

私と一緒にチャイケモで過ごしました。