移植から2日目。

少し下痢の症状が出てきて、

泣く声にも少し力が無くなってきました。


だけど、朝や夕方にはNHKの番組を私のお膝の上に座って見てくれます。



3日目。

朝からぐったりしてる様子で嘔吐も少し。

新生児科の時の主治医の先生が、

BCRの中にまで入ってきて下さりました。

にっちゃんは嬉しかったのか、先生にニコニコ笑いかけていて。

だけど、全ての血球が0なので、先生は抱っこも触る事も出来ず。


様子を見に来てくれて、

「僕のパワーで良ければ〜」と言って、

にっちゃんに両手をかざしてくれました。


「また、みんなのお部屋に帰ってきたら、会いに来るからね〜。頑張るんやで〜」


と言って帰って行きました。

その日の午後から少し元気が出たようで、嘔吐が治りましたニヤリ



先生パワーありがとう(笑)



熱が出ては、抗生剤を入れたら1日で下がり。

嘔吐、下痢も3日で治まりました。

懸念していた粘膜障害も、口の中は全くでず。クライオセラピーの効果でしょうか

口内炎1つ出来ませんでした。



本当に奇跡ばかりの体ですおねがい



口腔内は大丈夫でも、胃腸とかはもしかしたら炎症していたのかもしれませんが、

他の子達は、下血したり吐血したりするみたいですが、

にっちゃんは出血しませんでした。

さらに、栄養も変わりなくずっと入れてあげる事が出来ました。

皮膚に赤みが出たりも全く出ませんでした。



今の主治医の先生も回診に来ては

「にっちゃんは、思ったよりも強いです」

「まだ余裕あるな〜」



と言うほど。



私も想像以上に元気なので、

毎日

「いつガタッと来るやろう

「このまま終わるハズがないハイリスクやし、急変するんかな


と悪くなるものとばかり思っていたので、

毎日ドキドキ過ごしていました。



にっちゃんがBCRに入った日から

付き添い入院が出来なくなるので、

私は近くの「チャイルドケモハウス」

通称「チャイケモ」に泊まっていました。


子どもが小児がんになって、治療をしている家族の宿泊施設と。通院している小児がんの子や、家族と最後の時間を一緒に過ごせる病院型の宿泊施設です。

チャイケモに戻って、また翌日BCRに行くまでは病院から急変の電話がかかるんじゃないかと毎日ドキドキしてました。




3月上旬でまだ寒い中、

チャイケモから病院へ通うようになり、

実家からNICUに通っている時も冬で寒い時と何だか重なって。

先が分からない毎日の中ただただ会いに通っていた頃、頭の中をぐるぐる回る曲がありました。



ひまわりの約束。



「そばいたいよ。君のために出来ることが、

僕にあるかな。いつも君に、ずっと君に。

笑っていて欲しくて。

ひまわりのような、まっすぐなその優しさもぬくもりを全部

これからは僕も、届けていきたい。

ここにある幸せに気づいたから。」


今聞くと、

これまでの色んな事が走馬灯のようになって

泣いてしまいますが。

いや嗚咽がでるほどの号泣しますが(笑)


ずっとそばにいてあげたいと

思ってばかりでしたショボーン



そして311

移植から8日目辺りから、

いよいよ脱毛が始まりました。


何をしていても

抜けます。

泣いて暴れようもんならごっそり抜けます。

自分の気持ちはどんな感じになるんだろうと思ってはいましたが、

案外平気なもんなんです。

男の子だからかな

髪の毛よりも大変な事をしてるので、

脱毛しても特に心はブレずに

ベッドにコロコロをかけてました。


むしろ、少しでもカッコいいハゲ方をして欲しくてニヤリ

てっぺんはあまり触らずにサイドをよく触ってました(笑)

看護師さんにも

「見てみて!にっちゃんイケメンやない⁈」

と来る人来る人を困らせてました。


闘病だけど、闘病に飲み込まれずに

楽しく1日を過ごしたい。

にっちゃんに今日も楽しかったと

1日を終えて欲しいと。


今でもこの気持ちは変わりませんが、

入院中は特に看護師さんともママさんたちとも、情報交換したりBCRの様子を写メで見せたり。毎日楽しく過ごしていました。


BCRにいて、

にっちゃんが寝ると部屋から出ては

お友達の部屋に遊びに行っては

リフレッシュしてました。



にっちゃんの体重も

4500から4200にまで落ちましたガーン



そして移植から約2週間目に差し掛かる頃。


316

卒園式があり

自宅に1泊で戻りました。




✳︎血小板成分献血について✳︎

以前のブログで成分献血は50キロ以上と書きましたが、女性は40キロ。男性は45キロ以上で出来るそうです。

間違った基準をアップしてしまい、大変申し訳ございませんでした。