日曜日に病院に戻り、
十二指腸チューブ(ED)が20cm抜けてしまって。
だけど、
看護師さんだけの責任とは思ってません。
私も一緒にいたし、気づかなかったし。
翌朝、看護師さんから伝えられました。
前日の夕方から抜けていたそうです。
EDをどうするか
直ぐに先生に報告が行きました。
先生がお部屋に入ってきて
「お母さん、EDですが…とりあえず今胃に入ってしまってるのでストップします。放射線の時に寝るのでその後に入れ直しします。」
と報告が来ました。
母と
「仕方ないな…まぁ大丈夫や。それにEDもだいぶ使ってたから。新しいやつに替えてもらえたらいいな。」
と話してました。
午前中に放射線の照射。
当てる量は3グレイ。
コレは最も低くて、本来ならば将来的な影響は出ない程。
ただ、にっちゃんの場合は
体重が4500g。
影響が出るかもしれないと言われました。
当てなければ再発のリスクが高くなる。
将来的な影響が、出るか出ないか分からない事を危惧をするより
にっちゃんにはとにかく今です。
お風呂に入れてから
放射線を当てに行きました。
母も一緒に来ました。
母は放射線の説明、同意の時も一緒に聞いてくれました。
「外で待ってて、直ぐやし。」
というと、母が自分から
付き添ってくれていた担当医の先生に
「ばあばは入ったらダメなの?」と聞きした。
私は
「え!説明だけやし、別に大丈夫やって。同意して出てくるから。」
というと先生が
「大丈夫ですよ!おばあちゃんも一緒に入っても全然大丈夫です」
すると母が
「入る。一緒に聞く。」
と言って同席しました。
放射線はいわば被曝です。
抗ガン剤よりもダメージが大きいし、私は多少分かっていたから母に聞かせたら心配させるだけだと思っていたのに…。
母の「どんな時も付き添う」という決意をして臨んでくれてるのが痛い程よく分かりました。
そんな事があってからの今日です。
説明通り右側からと左側から。
動くと危険だから、麻酔のような眠剤のような薬で寝かせます。
照射室にはにっちゃんも起きて入室しました。
私が抱っこをして、母も一緒に。
指定のベッドへにっちゃんを置くと
主治医の先生が
「では、お母さん今から少し寝てもらいますね」
そう言って、
持っていたお薬をカテから入れた瞬間に
にっちゃんが目を閉じました。
魔法のように、スーッと目を閉じて寝ました。
そして、私と母と担当医の先生は退室をしました。
照射室前の廊下にモニターがあり、
様子が映し出されてます。
寝ているにっちゃんの周りに
ビーズの入ったクッションを敷き詰めていきます。
準備が出来たら先生方が外に出てきて
照射開始です。
モニターに映ってるにっちゃんを見て
涙が溢れてきました。
「遂にここまで来たな…」
「こんな小さな体に…」
「1年5カ月がようやく終わる…」
色んな感情が込み上げ来ました。
先生にも
「お母さん、よくここまで頑張りましたね。お母さんは長かったからね。
にっちゃん頑張ってるからね、我々も頑張ります」
そう言って下さいました。
こうして30分程で照射が終わりました。
寝ているので、ストレッチャーで
EDを入れにレントゲン室に行きました。
向かう途中に
放射線を当てに来た親子とすれ違いました。
その親子は全く知らない人達だったけど、
すれ違った時に
ストレッチャーの中の子が小学生ぐらいでした。それを見た瞬間に再び涙が溢れた。
ご家族の辛さなんて、私の経験した事なんかよりどれ程大きいものなんだろう…
と勝手に想像して胸がギュッと苦しくなった。
にっちゃんは生まれた瞬間に
心臓が止まっていた。
そこからのスタートだから、
全てが1つ1つ「クリア」だったけど、
もし、これがお兄ちゃんだったらと思うと。
辛いなんてものじゃ無いだろう…。
頭も心もめちゃくちゃになる。
自分の命をあげたくて仕方がなくなるだろう…。
自分が健康に生きている事すら嫌になるだろう…。
そんな事を想像しました。
小児ガンの子は、普通に元気に生まれた子ばかりです。
みんな治って欲しい。
そして生きてほしい。
「子どもの頃にガンだったんだ」って笑顔で話せる大人になって欲しい。
そんな気持ちになりました。
レントゲン室に到着をして、
先に到着していた主治医ににっちゃんをお願いしました。
数分してから
ギャン泣きしているにっちゃんの声がしました。そして、また静かになりました。
「あっ…麻酔追加された…」
それからまた数分して先生とにっちゃんが出てきました。
にっちゃんは目を開けていて
顔中、涙や鼻水にまみれてました…。
先生が
「EDですが、とても汚れていたので新しいものにしました。あと、チューブを入れる時は寝てましたが、テープで固定する時に敏感に起きて泣いたのでお薬を追加しました。
きっとテープの張り替えが大嫌いなんですね…とても早かったです(笑)」
と言って部屋に戻りました。
そして、移動の準備をして
BCRへ移動しました。