225日(月)

移植前処置



32日(土)

お兄ちゃん最後の参観日



34日(月)

午前中に放射線→BCRに移動

午後、臍帯血移植



316日(土)

お兄ちゃんの卒園式





まさかの

2人ともの一世一代の大イベントが

重なる事に。





にっちゃんが1番しんどく辛くなる時期に、

お兄ちゃんの卒園式。



外せない。

帰らないとな

にっちゃんは大丈夫!

みんながいる。



お兄ちゃんに付いていてあげないと。

お兄ちゃんも色んな事があった3年間。

途中から私と離れて暮らす事になったけど、頑張って自分の事は自分でして。

凄く成長した。

毎日私が自転車の後ろに乗せて行ってた。

後ろから話かけてくるお兄ちゃんとのお喋り。お歌を歌いながら行く日もあった。

それも最後までしてあげれなかったけど。




私も楽しかった3年間。 

にっちゃんをお願いして帰ろう。




もう、にっちゃんのファイナルステージは

目の前まで来ました。

ラスボス、もう見えてます。

仕留める準備は万端。




これまで本当に色んな事がありましたが、

にっちゃんを見ていると、

こうなるタイミングというか、

宿命?運命?なんていうのが

あるんだなと思う事が多かったです。





にっちゃんの場合、

もし妊娠中に障がいが分かっていたら

命を諦めていたのかもしれない。

胎児胸水が見つかった時に、

シャント術(母体のお腹から胎児の背中にシャントという管を刺して胸水を羊水へ排出させる処置)をしていたら、血が止まらずに確実に死んでいた。

もし、胸水が見つかった日の妊婦健診が1日でも遅かったらお腹の中でダメになっていたし。




1014日じゃなかったら助かっていなかった。




血液疾患も、1年間の原因不明の期間があったから少しは大きくなれた。

この1年間、ずっと輸血をしていたから

ガン化する前の染色体異常が見つかった。

モノソミー7 が見つかってから5カ月。

この5カ月の間に700g体重が増やせた。


きっと、移植出来る状態を体が分かっているんだろう。

本当に1つでも何かタイミングがズレていたら

ここまで来れなかった。




にっちゃんは大変な体を選んで生まれてきたけど、助かる道を知っていて。

そこをしっかりと真っ直ぐに歩いてきてくれてるんだと思います。

生きる道の地図を小さな手にしっかり握っているんだと思います。





病棟にいる間に、

たくさんのママとお喋りしました。

お昼食べたりお茶しに部屋を出ている時に、子どもの病気の話や最初にガンが見つかった時の事を聞く事が多く。

みんな話ながら泣くんですよね。

当たり前ですよね当然です。

そしてみんな

「私が早く気づいてあげていたら」て。

どのママさんも自分を責めていました。

そして

「もし治ってもまた」と不安を抱えて泣くんです。もちろん不安になります。


色々潜り抜けた私でも、

再発という不安は頭の隅っこにずっとあります。




1人のママが私に話ながら泣いていました。

なので、

「タイミングってあるんだと思う。早かったら体が小さいや年齢が低いで、今している治療が出来なかったかもしれない。だから、きっと1番いいタイミングでママは気づいて病院に行ったんだと思う。それに、病気はママのせいでもないんよ。子どもが選んで来てね。チャレンジしたかったんだと思うよ!この厳しい道をね、試したかったんだと思う。そんなカッコいい子にママは選ばれたんだよ。

一緒に乗り越えてくれる、支えてくれるママだって。子どもが選んでくれているから、自分を責めないで。ママを選んで大正解だと思うし。ここに来たら1人じゃないから、みんなで頑張ろう!大丈夫、治るから!治しに来てるんだからね!大丈夫!信じよう!」


偉そうだったかもしれないけど。

私はにっちゃんを見ていてこう思っていたんです。



そのママがどう感じてくれたかは分かりませんが。少しでも気持ちが軽くなっていてくれたからいいな〜と思います。