三浦春馬自殺分析 | ヤサグレもんの戯言

三浦春馬自殺分析

⬛️三浦春馬自殺分析

 役者の仕事に100点満点はない。

 母親の期待。

 事務所の期待。

 監督の期待。

 作品の期待。

 映像作品というのは、総合芸術であり、幾ら一人の演者の演技が完璧だったとしても、絡み合う演者同士の演技が、最初から最後まで100点満点でなければ、及第点は取れても、納得の行く作品とはならないし、その作品の評価や、興行収益が悪ければ、その結果に苦しむものだ。

 だからか、女優は、「サバサバ」した人が多い気がする。

 そうでなければ「メンタル」が、耐えられないのだ。

 そういった面において「三浦春馬」は、「繊細」であり、完璧主義であったのであろう。

 自分に関わる全ての「人」の期待に応えたい。その期待に応える為に、三浦春馬は、樹海を彷徨ったが、答えがでず、「自殺」に至ったのではないのか?

 結論から言えば、自分に関わる全ての「人」の期待に応える事は、出来ないのが現実だ。

 だからこそ三浦春馬は「自殺」に至った。

 誰かが「助言」を与えていれば、は、「後付け」の答えでしかない。

 また、完璧主義の三浦春馬に対するSNS上の書き込みも「自殺」を招いた一つの要因と言える。

 例えばSNS上で、映画『コンフィデンスマンJP』で共演した東出昌大の不倫スキャンダルを巡り三浦が発信した見解に対し『擁護している!』
と叩かれる事態があったり、今年3月に主演のミュージカル『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド~汚れなき瞳~』の公演を行った際、新型コロナ感染拡大が始まっていた時期だった事から『なぜこの時期に公演を開催するんだ!』と批判を受けたりもした。

 書く側は、どこまで「三浦春馬」の事を知っていたのか?

 鉄のハートの持ち主と、思っていたのか?

 書き手の「書き込み」により、人が亡くなるとは、考えなかったのか?

 三浦春馬は、SNS上の「批判書き込み相手」に、どんな罪を犯したのか?

 罪を犯していないとすれば、「批判書き込み相手」は、「自殺」の幇助者である。

 死の幇助とは以下の様に定義される。

 自殺を手助けする行為。その動機及び態様により、消極的幇助と積極的幇助に分かれる。切腹等で介錯を行うのもこの一例である。

 よって、責任がないとは言い切れない。

 皆、馬鹿なのか?阿保なのか?「言葉」に対して、鈍感過ぎる。

 『テラスハウス』における木村花の「自殺」要因を作った「書き込み者」は、木村花の死後、書き込みの削除に走ったという。

 「罪」の意識はあるのに、書き込みを行う事は「精神異常者」の行為の他ならない。

 また一部報道によれば元カノである同じ芸能事務所「アミューズ」に所属する後輩女優・三吉彩花の事をいまだに引きずり、彼女の事が忘れられずに悩んでいたと言う。


 その為、三吉彩花のInstagramのコメント欄が彼女を責め立てるコメントで、荒らされているが、それは、三浦春馬の本意ではないだろう。


 好きだった女性を傷つけられる程、悲しい思いはない。


 だから、三浦春馬が自殺するのは、2020年7月18日でなければならなかったのだ。

⬛️なぜ三浦春馬は亡くなったのか「他者の欲望」を優先させる底知れぬ優しさ

文=片田珠美/精神科医


三浦春馬


 自殺した三浦春馬の「密着母」との関係について「週刊文春」(730日号/文藝春秋)が報じている。「文春」によれば、小さい頃は引っ込み思案で大人しかった三浦に俳優の道を勧め、地元の演劇学校に入れたのは、実父と離婚して女手一つで三浦を育てていた母親だった。三浦が俳優としてブレイクすると、母親は個人事務所の社長に就任し、母子の関係は更に濃密になった。


 勿論、「ステージママ」と呼ばれる程熱心な母親のおかげで成功した芸能人は幾らでもいる。一卵性母娘と呼ばれたほど母親と密着していた歌手や女優もいる程。中には、母親の献身がなければ、あれだけの成功はありえなかっただろうと思われる芸能人もいる。三浦の母親は、彼の自殺により誰よりもショックを受けているに違いない。


 精神科医として注目するのは、反抗期が無かった事である。「文春」によれば、三浦は2012年に受けたインタビューで次の様に語っている。


「ずっと『はるちゃん』と呼ばれています(苦笑)。この前『僕って反抗期とかなかったよね?』と聞いてみたら、『なかったねぇ』」(「婦人公論」中央公論新社)


 思春期・青年期のケースを数多く診察してきた長年の臨床経験から申し上げると、反抗期が無かった人は、親の欲望を満たし、親の期待に応え様と努力する傾向が人一倍強い。


 三浦は一人っ子だし、母親は再婚した継父ともその後、離婚している。そういう事もあり、<母の欲望>を気にかけ、母親を悲しませない様に、期待を裏切らない様にという事を考えていた様に私の目には映る。実家への仕送りを欠かさず、金銭的な面で母親を支えていたのは、その表れだ。


「他者の欲望」ばかり気にかけると


 三浦については「周囲に気を遣う」「配慮ができる好青年だった」「責任感が強かった」という証言が多い。これは、<母の欲望>だけでなく、「他者の欲望」を常に気にかけ、それを満たそうとしてきたからではないか。


 勿論、フランスの精神分析家、ジャック・ラカンの「人間の欲望は他者の欲望である」という言葉通り、誰でも程度の差はあれ「他者の欲望」を察知し、あたかも自分の欲望であるかの様に満たす事により、認められ、愛されようとする。


 中には、「他者の欲望」を満たす事により、相手から気に入られ、褒められる事に大きな喜びを見出す人もいる。逆に、「他者の欲望」を気にかける事も察知する事もなければ、「空気が読めない」「自分勝手」等と非難されかねない。


 特に子供は、親の欲望を察知し、満たす事により、親から認められ、愛されようとする。そういう事を誰でも知らず知らずの内にやっている。子供は親の庇護や愛情がなければ生きてゆけないので、親の気持ちを読み取り、それに出来るだけ添う様にする。


 例えば、病院や診療所を経営する親は、子供が医者になって跡を継いでくれる事を願うが、そういう親の欲望を子供が敏感に察知し「大きくなったら、お医者さんになる」と言う事がある。これは、医者に限った話ではない。親が子供に就いて欲しいと願っている職業を、子供が敏感に察知して「大きくなったら、○○になる」と言う事もあるだろう。


 だから、「他者の欲望」を満たそうとする事が必ずしも悪い訳ではない。むしろ、「他者の欲望」を察知する能力に長けた人は、三浦の様に周囲から「気が利く」「気配りができる」等と評価される事が少なくない。


 ただ「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、「他者の欲望」に囚われてばかりいると、自分の欲望を持てなくなる。場合によっては、自分が本当は何がしたいのかも、何になりたいのかも、分からなくなる。


自分の欲望を持てた時もあったのだが


 三浦の場合、自分の欲望を持てた時が無かった訳ではないようだ。引退を考えるまで精神的に追い詰められた時、生まれ育った茨城に戻って農業の仕事に就く事を決意し「農業学校」を探し始めたが、母親に説得されて思い留まったという。また、自らの意思で英語を学ぶ為にイギリスに留学した事もあったが、同じホームステイ先だった中国人のルームメイトは「事務所から早く帰国するよう急かされ椅子に座って泣いていた」と証言(「文春」)。


 勿論、三浦の将来の為によかれと思って、所属事務所は帰国を促したのだろう。だから、誰も責められない。ただ、三浦が自分の欲望を押し殺し、「他者の欲望」を優先した事によって、その後、窮屈な思いをする様になったのかもしれない。


 しかも、三浦は完璧主義でストイックだったらしく「他者の欲望」を満たそうとし続けた余り、自己肯定感が低くなった可能性も考えられる。前出の中国人のルームメイトは「自分に自信がなさそうだった」と明かす(「文春」)。これは、100点満点でないと気がすまない完璧主義が災いして、幾ら頑張っても自分は周囲の期待に応えられないと自分を責めるところがあったからではないか。


 そもそも人は1つの原因だけで自殺する訳ではない。幾つもの複数の原因が積み重なった結果、自殺という悲劇を招くので、「他者の欲望」を満たそうとした事も、その内の1つにすぎない。もしかしたら、まるきり的外れかもしれない。


 ただ、「他者の欲望」を満たそうとする三浦の優しさがなかったら、自殺せずに済んだのではないかと思うと、残念でならない。ご冥福を心からお祈りいたします。


参考文献

Jacques Lacan  “ Ecrits ” Seuil 1966