故ジャニー喜多川の新宿2丁目通いと、3人の評価
ジャニー喜多川氏
今月4日、7月に死去したジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏のお別れの会が東京ドームで執り行われた。所属タレント以外にも、かつてジャニー氏が育てた事務所OBたちも多数参列して、ジャニー氏のカリスマ性と事務所の影響力の大きさを世間に見せつけたかたちになった。ジャニー氏とは旧知の間柄だった芸能関係者(70代男性)・Aさんが、思い出を語る。
「最後にジャニーさんに会ったのが、今年に入ってすぐだった。新宿のグローブ座でばったり。『どう?最近向こうの街(新宿2丁目)には飲みに行ってるの?』って聞かれて、『暫くご無沙汰ですよ』って答えたら『また行きたいねぇ』って懐かしそうな目をしていた。とにかく彼が人の悪口を言ってるのを聞いた事がない。男の中の男でした」
Aさんはジャニー氏としょっちゅう飲み歩く仲だったという。たのきんトリオが売れ出した1980年代頃のエピソードを、こう懐かしむ。
「ジャニーさんは身長が153 cmしかない。上げ底ヒールを履いてようやく160cm位になる。六本木で一緒に飲んだ後、ヘロヘロになって歩いていたら、路上で身長2mくらいある黒人数人に絡まれた。僕は急いで逃げたが、ジャニーさんは近くに設置されていたドラム缶のゴミ箱を持ち上げて、黒人たちに立ち向かって行った。大乱闘の末、黒人たちはバタバタとやられて道端にダウン。『こんなチビ野郎にやられるなんて!クソ!』と捨て台詞を吐いていた」
そんな男っぽい一面とは裏腹に、少年達への気配りは相当なものだったという。
「当時は朝までよくジャニーさんと麻雀をやりました。決まって明け方4〜5時になると、『ハイ!一時ストップね』と麻雀を中断する。どうしてかというと、合宿所で暮らしている少年達が学校に持って行くお弁当を、ジャニーさん自ら作る。煮物とか唐揚げとか、子供の好物を手際よく用意する。それを弁当箱に詰めて持たせて、学校に送り出す。その後は彼らの洗濯も自ら行っていた。取り違えない様、一人ひとり下着に名前も書いてあげていた。よくやってるなぁと感心した」(同)
青山通りを一本入った路地にある洋食屋や鉄板焼き屋へは、最近まで少年達を引き連れたジャニーさんが足繁く通っていた。一生懸命頑張っている彼らに、食でもてなすのが大好きだった。
「最近は『中居がさ、肉食べに連れてってくださいよ、って甘えて連絡してきて。可愛いんだよ』って嬉しそうに話していたのが印象に残っている」(同)
そんな少年思いのジャニーだが、一人になって思いを巡らす場所があった。意外な事に、そこは都心にあるファミレス。親子連れが引き上げた夕方から出没していたという。
「たまたま居合わせると、心の内を露呈してきた。SMAPの解散騒動の時には『あの3人(草なぎ剛、稲垣吾郎、香取慎吾)は騙されている。きっと何もできやしないだろう』とか『ジャニーズには30代半ばで芽の出ないアイドルが山程いる。彼らの為に田舎にネバーランドの様な屋敷を建てて、自然教育に取り組みたい』等と本音を語っていた」(同)
カリスマ亡き今、今後の事務所の行く末が気になるところである。
(文=編集部)