「内田裕也Rock’n Roll葬」の謝辞に見る内田也哉子 言葉の強さ | ヤサグレもんの戯言

「内田裕也Rock’n Roll葬」の謝辞に見る内田也哉子 言葉の強さ

⬛️心、震えた


    「内田裕也Rock’n Roll葬」の謝辞に見る内田也哉子 言葉の強さは、心、震えた。

   この謝辞は「文学」である。

   そして「文学」であるからこそ、伝えたくなる。

   内容は、分かり合えない父と娘と、客観的に物事を見ている樹木希林の関係図である。

   内容で、全てが語られているとは思わない。

   だが、内田裕也の娘として生まれた内田也哉子の心情表現は、檀一雄長編小説で遺作である火宅の人』を想像させるに難くない。

   ウチにいない内田裕也。絶対に離婚しない樹木希林。

   そこには、娘として生まれた内田也哉子にすら分からない、様々なドラマがあったはずである。

   内田也哉子の謝辞を元に組み立てて行けば、「小説一冊」もしくは「映画一本」出来上がるであろう。

   自分の知っている内田裕也像と言えば「コミック雑誌なんかいらない」等の作品に代表される、映画俳優としての姿である。

   また、無難な世界で生き続けなくてはならなくなった「現代」に、憤りを憶える中生きた内田裕也という存在は、巨大である。

   だからこそ内田也哉子の謝辞を全文、読んでいただきたいと思い掲載させて頂いた。

⬛️内田也哉子「2人の遺伝子は次へと流転」/謝辞全文

[2019年04月03日16時10分]


「内田裕也Rock’n Roll葬」で喪主謝辞を述べる

内田也哉子さん(代表撮影)


   先月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。


喪主を務めた長女のエッセイスト内田也哉子(43)が謝辞を述べた。


全文は以下


    私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。


    私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。


    けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。


    そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。


    母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。


    もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれでも、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。


    2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。


    79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

Fuckin' Yuya Uchida,

don't rest in peace

just Rock'nRoll!!