子どもが自分で弁当を作る「弁当の日」を提唱する竹下和男さんの食育講演会が、娘の通う小学校で行われたので、参加した。

保護者の参加者の多くは、ちらっと見たところ生活クラブをやっている人(笑)。食に対する関心の高さが伺われた。

竹下さんは、元小中学校長。香川県の小学校で「弁当の日」を始め、、今では全国に広がっている。子どもが食への関心を高めるばかりでなく、自立心や家族への感謝の心を育てるなど、さまざまな効果が期待されている。

本日の、信濃毎日新聞22面にも、記事が掲載されているよ。


今回の講演で、特に印象に残ったのは、最初のスライドショー。

「5才のお子さんを持っていて、自分があと五ヶ月の命だったら、親として何をその子に残してあげるか」

という問いかけ。

乳がん再発で、あと五ヶ月の命とわかった母親が、残される五才の娘のためにやったこと。

自分のことは、自分でできるように、風呂洗い、くつ並べ、掃除、たんすの整理、服の管理などを教え、

まだ危ないのではと思いながらも、包丁を持たせ、料理を教えることに決めた。

ご飯の炊き方、味噌汁の作り方、だしのとり方、野菜の切り方・・・

今でも、娘さんは、お父さんのために毎朝味噌汁を作る。

帰りの遅い父に夕飯も作る。

小田和正の歌に、更に涙腺はゆるみ、あちこちからすすり泣きが。もちろん私も滂沱の涙。

子どもが、高校生になったら。受験に受かったら。大学生になる前に。お嫁に行く前に。

なんとか教えればいいやと考えていたが、これを見て

そんなことは悠長なことは言っていられないなと思った。

特に高校二年の息子。

先日、望月俊孝さんのブログを読んで、感銘した言葉が、


「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」


私に足りないのは、まさにこの部分。子どもが欲しがる前に与えてきた感じすらある。

教えることよりも、目先の面倒(片付けが大変、怪我したら困る、自分がやった方が早い)

が先にたってしまうのだ。

ここを反省して、これからは、どんどん自分たちで進んでやってもらう。

それには、本気でほめることが大事。

私は、いつも教育的指導を一言付け加えたくなるたちで、「ここはよかったよね、でも、ここをこうすると

もっととくなるよ」と言いたくなるのだ。でも、そう言われると、子どもたちは、ダメ出しをされたようで、

ますます嫌になるみたいで。

手放しでほめる。ほめちぎるってことをしていきたい。

思えば、私の母は、ほめ上手だ。

小学生のときに、りんごのむき方、ナイフの使い方を教えてくれたのは、父だった。

小学生で、スープや味噌汁、クレープを焼き、中学生・高校生ではお菓子作りを趣味として

食事も作り、大学生にはすんなりと自炊できるようになっており、友達がいっぱいご飯を食べにきた。

私が今あるのは、私のやりたいという気持ちを上手にくんで、大げさなくらいにほめてくれた家族のおかげなのだ。

私も、そうして命のバトンを次へつないでいかなければ。そして、それを楽しんでいかれたらと思う。



当日の講演会資料の中にあった、竹下和男校長の『「弁当の日」に託した六つの夢』 および 『弁当を作る』(平成14年度 滝宮小学校の卒業生に贈ったことば・卒業文集への寄稿)を紹介する。

■『「弁当の日」の原則』

1 子どもだけで作る

2 小学校5・6年生のみ

3 月1回、年5回


■ 『「弁当の日」に託した六つの夢』

1 「一家団欒の食事が当たり前になる夢」

2 食べ物の「命」をイメージできるようになる夢

3 子どもたちの感性が磨かれる夢

4 人に喜ばれることを快く思うようになる夢

5 感謝の気持ちで物事を受けとめられるようになる夢

6 世界をたしかな目で見つめられるようになる夢


■弁当を作る(平成14年度 滝宮小学校の卒業生に贈ったことば・卒業文集への寄稿)

 あたたたちは、「弁当の日」を2年間経験した最初の卒業生です。
 だから11回、「弁当の日」の弁当づくりを経験しました。
 「親は決して手伝わないでください」で始めた「弁当の日」でしたが、どうでしたか。

 食事を作ることの大変さが分かり、家族を有り難く思った人は優しい人です。
 手順良くできた人は、給料を貰える仕事に就いたときにも、仕事の段取りのよい人です。
 食材が揃わなかったり、調理を失敗したりしたときに献立の変更ができた人は、工夫できる人です。
 友だちや家族の調理のようすを見て、技を一つでも盗めた人は、自ら学ぶ人です。
 微かな味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、自分の感性を磨ける人です。
 旬の野菜や魚の、色彩・香り・触感・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。
 一粒の米・一個の白菜・一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。
 スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限や原材料や産地を確認できた人は、かしこい人です。
 食材が弁当箱に納まるまでの道のりに、たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。
 自分の弁当を「美味しい」と感じ「嬉しい」と思った人は、幸せな人生が送れる人です。
 シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。
 登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、慈しむ心のある人です。
 「あるもので作る」「できたものを食べる」ことができた人は、たくましい人です。
 「弁当の日」で仲間がふえた人、友だちを見直した人は、人と共に生きていける人です。
 調理をしながら、トレイやパックのゴミの多さに驚いた人は、社会を良くしていける人です。
 中国野菜の値段の安さを不思議に思った人は、世界を良くしていける人です。
 自分が作った料理を喜んで食べる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。
 家族が手伝ってくれそうになるのを断れた人は、独り立ちしていく力のある人です。
 「いただきます」「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。
 家族が揃って食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。

 滝宮小学校の先生たちは、こんな人たちに成長してほしくって2年間取り組んできました。
 おめでとう。これであなたたちは、「弁当の日」をりっぱに卒業できました。


(これを読んだだけで、うるうるです。)
このブログを読んで、竹下先生のお話に興味を持たれた方に、朗報です!

明日、5月10日10時から、長野市ホクト文化ホール会議室でも、「顔のある食卓」と題して講演会があるので、お近くの方はぜひ!!参加費1000円です。


また、少し先になりますが、7月28日土曜日午後から、戸倉創造館にて、竹下先生の講演を企画しております。

ワタクシも、当日は司会進行のお手伝いをします。

こちらもよろしくお願いします!