Re:ありがとう存じました
>鳳川伎連 幇間・喜久次さん
わぁ!!
喜久次さん!!
コメント、ありがとうございますッ!
その節は、ありがとうございました。楽しゅうございました。m(__)m
またお会い出来ますことを、心待ちにしております。m(__)m
ありがとう存じました
わたくしもアメブロさせていただいております
この程はご来駕賜りましたありがとう存じます
またどうぞ宜しくお願い申し上げます
鳳川伎連・喜久次3
Re:一男さんへ
>一男さん
コメントありがとうございます。m(__)m
返信が大変遅くなりました。m(__)m
芸妓さん・舞妓さんを描くな、という圧力とは、一体どういう理由からなんでしょうか。とても理解に苦しみます。
アメノウズメ、出雲阿国…芸術は神に捧げられたもの、壮大な話ですね。
まだまだ私には書き上げられる程の知識がありませんので、勉強致します。
ありがとうございました。m(__)m
一男さんの絵画、楽しみにしております。
キリのブログ様へ
キリのブログ様へ お早うございます。「幇間」とは男の芸者のこと・関西で芸者とは男性のこと
女性は芸妓(げいこ)。そして修行中15歳から20歳くらいまでの少女は舞妓(まいこ)→」5年間」修行する。
ありがとうございました。関西と、関東さらに東北でこのように呼び方が違うとは初めて知りました。
私は無名な洋画家として日本画や浮世絵ではありませんが、西洋絵画手法の油彩画の描き方で和の文化の
主役の京都祇園の芸妓さん舞妓さんを描くことを目的に画業を貫き通しています。
私の所属する肖像美術画協会の団体の先生方の中には。芸妓さん舞妓さんを描くなと強行に圧力を掛けて
来る先生方が、ごく一部に居ます。
私は無名な洋画家として京都祇園の芸妓さん舞妓さんを生涯かけて描いて参ります。
今回のキリ様のblog記事にかなり心酔を致しました。また大変に勉強させて頂きました。
また私は日本史の中の芸妓さんや舞妓さんの古代の最初に登場する天の岩戸での舞を舞う
という古事記や日本書紀の記述、さらに巫女、平安時代の白拍子の記述また遊び女が芸を身に
つけての記述など、是非にお調べ頂きblog記事にされて頂きたいと望ます。私は日本史を
絵画手法のblog記事に、キリ様は日本史の論文を是非にお書き頂きますようにお願い申し
上げます。何卒よろしくお願い致します。では次回blog記事を楽しみにさせて頂きます。賢々
ご機嫌よう!! 福島県いわき市平市内にて 無名な洋画家 一男ョリ!!
Re:おはようございます。
>三上慈人ShigetoMIKAMIさん
コメントありがとうございます。m(__)m
三上さんも、やはりブログ開きにくいですか。サーバーのシステムの問題なのでしょうか。皆さん、そうなのかも知れませんね。ありがとうございます!原因があれば理解出来ます。
花柳界の呼び名は、私もまだ全ては分からなくて、「幇間」という呼び名は今回初めて知りました。そして、日曜日の夜に日本テレビでたまたま新潟の芸妓(げいぎ)について放送されていて、振袖さん(浅草にもコンパニオンとして振袖さんが居ますが…)も知りました。新潟では、お座敷文化を失くさない為に、30年前から、会社組織にして正社員として芸妓を募集していて、衣装等も会社から支給されるそうです。それでも勿論お稽古は変わらず厳しいものでした。
目黒雅叙園は、私は昨年初めて出向き、大変な和洋折衷の建造物で、ただただ「凄いな~~」と圧倒されました。海外のお客様も多かったです。
かつては美術館もあったのですか!
三上さんが以前書いていらした品川の美術館にも私も行ってみたいです。(≧∇≦)
ありがとうございました。m(__)m
おはようございます。
キリさんへ
確かに最近アメブロは重くてページを開くのに時間がかかったり、ちゃんと表示されませんよね。きっとサーバーのシステムの問題かと思われます。早く改善してノンストレスになってくれることを願います。
関西、関東、東北での呼び名の違い、とても勉強になりました。自分は関東と関西がごっちゃになってました笑
目黒雅叙園という名を読んでとても懐かしくなりました。
昔(20年以上前)ですがよく行っていました。
当時はまだあった美術館にも何度か行った記憶があります。
改装していると聞きましたが終わったようですね。
いつかまた行ってみたい場所のひとつです。