やはり……、素直な愛情がいちばん人へ達するのだろう。

親から子へ。
子供は、本能的に見抜く。

愛なのか、見せかけなのか。

心からの笑顔で、思いやりがあって、温かい食事が一緒に出来たら、それで良かった。

進学も職業も親が決める事でもない。

子供は、親の所有物ではない。


秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚の刑が7月26日、執行された。

事件が起きた2008年6月、その日、私は、中目黒の舞台に立っていた。

舞台タイトルは『サンシャイン&レインボー』。私の親友の作・演出。
題名からは想像もつかない血みどろの作品。舞台は、悔い無くやり切った。

事件後、当時のお客様で、年配の社長が「加藤智大に注目してる。寺山修司みたいなヤツだ。
掲示板、読んでみてよ」とあんまり言うから、

嫌だったけれど、恐る恐る加藤の掲示板を見た。
結果的に、当時ほぼ全て読んだと思う。

どこが寺山修司なのか、寺山修司といえば、マザーコンプレックスな所?加藤にもあるのだろうか?と思った。

寺山も加藤も青森出身という共通点はある。ならば、訛り等、コンプレックスの問題を言いたかったのだろうか。

確かに、事件当初は、コンプレックスの塊のオタクが暴走したかのような報道だった。

加藤は、掲示板で、自分をブサイクと卑下したが、容姿は普通、頭も良い。
後に、加藤自身も書いていたが、ブサイクという役回りを周りの求め通りに演じていただけ、だと。

いい人も演じられる。
ただ、心の奥底は吹きっさらしで、凍りついていただろう。それは、まともな育ち方をしていなかったから。

自分自身で、まともな人間ではないと分かり切っていたから。愛の分からない人間。

そののち、加藤智大が本を出版した事を知る。
そして、実の弟が苦しみ切った上で自殺した事も知った。

弟の述懐で、母の異様な教育も露見して、それは、教育という名を借りた凄まじい虐待だった。

加藤智大は、自分を母親のコピーだと呼んだ。

年配の社長のいう、寺山修司みたいなヤツという意見は、あまり良く分からなかったけれど、

加藤の母親と私自身が少し似ている、と感じ、引いては、加藤智大とも私は少し似ているのかも知れないという気がした。

そのせいか、余計に自殺した弟に、心底から同情した。

秋葉原通り魔事件、無差別に17人が被害に遭い、10人が亡くなり、生き残った被害者も後遺症に苦しんでいる。

被害者の中に肝炎を患った方が居たそうで、同じナイフで刺されてや、人命救助にあたって血に沢山触れて、それが原因で肝炎になってしまった方も……。


安倍元首相を銃撃して殺害した山上徹也容疑者もまた母親に人生を変えられてしまった。

もしも、山上徹也容疑者が母親を

棄てる

縁を切る

という事が出来ていたなら……。

愛憎とは、無惨だ。



私個人は、師匠が亡くなり、何かが大きく変わった。知ってしまったんだ。
例え交流が数年間であっても、大事な人を喪った事を。

一方、例え産んで貰っても、何の気持ちも抱けないという事も存在している、と。
その違いを。

これまでも、このブログに、40年以上葛藤して来た家族の話を時折載せたが、

私の中で、もはや実母は、亡くなったも同然。

ただ、今がいちばん優しく受け入れられると思う。

というのは……私は、心の中で母を棄てたのか?

勝手に背負い込み続けるのを辞めたのか?

しかし、それは健全だ。




アンティークの着物で作られたお人形。


最近、着物仲間さんが出来ました。


ほぼ毎日会っています。