27年前に書いた文章が出て来ました。
確かに、自分で書いた物ですが、興味深く読みました。
幼ない頃の心象風景は、荒れすさんだ空地に私を含む四人姉弟が居て、皆すすけた顔で泣き叫んでいる。
他には誰も居ない。
がさつで雑な環境が嫌だった。
物心ついた時から、私は自分が他人から好かれていない、嫌われている、と感じていた。
依存心が強すぎたからなのか、甘えが強すぎたのか?
見守って貰ったことがない。
愛を愛と感じたことがない。
人間を、信じていない。
それらは、自分を見ていて貰うことへのプレッシャーから、自ら拒否したのか?
愛情を求める理想が高すぎて、身近な愛を感じとることが出来なかったのか?
裏切られたくない、傷つきたくない、という自己防衛なのか?
厳密には、わからない。
とにかく、自分と、「外」「他人」との間に、いつも遮断された感じーーー、その間に、いつも、拒絶感があった。
遮断や拒絶は、どちらか一方からではなく、両者が別々のスタイルで、両方ともがしているのだと、やっと気がついた。
事実と真実を述べ、求めることよりも、人と人との和を崩さないことの方が大事だ、とは知らなかった。そういう感じ方、考え方、生き方があるのだとは、私はわからなかった。今もそんなにはわからないが、なんとなく多くの場合、選択されるのは後者みたいだ。
人の和を大切にする、それがどんなときでも重要で、それがやさしさというもので、そうして人同士は生きている、とは本当に今までは理解できなかった。過去形なのは、“そういうものらしい”と今は思い当たったからだ。そういう人達がいるらしい、と。
多くの人がそうなのだろうか。
私が殆どの人と合わないと感じるのは、そのせいなのだろうか?
以上、25歳くらいの頃に書いた文章です。