新しい年になりました。
本年もどうか宜しくお願い申し上げます。
昨年、実写映画化もされたそうで、劇中劇の『サロメ』の七つのヴェールの踊りの動画を見た事で、その映画の原作である、この作品を知りました。
二目と見られぬ醜い貌のかさねが、母の出身の村に伝わる不思議な口紅で、他人の美しい貌を奪い、女優として生きて行く物語。
かさねの亡くなった母は、伝説の女優といわれた淵透世(ふちすけよ)。母もまた他人の美しい貌を奪い、大女優として君臨して来た。
……なかなか徹底的には議論し尽くせない「美醜」について……。
そこに演劇の世界を絡めています。
テーマが深いのに、惜しいのは、美醜につきまとう差別や悲劇について問う意欲作としてスタートを切ったと思うのに、
途中から因果応報の話にしてしまったような気がします。
しかし、多くの人に、考えるきっかけとなれれば、素晴らしい事だと思います。
顔や姿形は、鏡を見ない限り、自分では見る事は出来ない。
自分の顔や姿形は、他人を通して感じさせられる。
『累』の中にも沢山の印象に残る言葉がありました。
「醜さも美しさも異形の者という意味では同じ」といった言葉もありました。
なるほど、三島由紀夫も「醜女も美人も他人に見られる事に疲れている」という意味の事を書いていました。
『累』(第2巻・演出家 羽生田の台詞)
「虚像(にせもの)を実像(ほんもの)に見せるのが演劇だ」
「観客だって化かされるつもりでわざわざ来るのさ」
「にせものの空間がほんものに見えるように 俳優のうそがほんとうに聞こえるように仕上げる」
「演出ってのは そういう事をやるんだ」
「面白いのは
ときに にせものがほんものを超えてしまう事だな」