私は、長い間、外に出れば知らない女性に睨みつけられたり、顔見知りであってもお話した事のない女性に嫌われていたり……という事が
あまりにも多かったのですが、
近頃はそれも随分減って来たように感じます。勿論、48歳という年齢も関係あるのかも知れませんが、
睨みつけられたり、嫌われたり、の理由は、私の容姿というよりも、私の中にある目には見えない「精神領域のボーダーライン」の曖昧さ故なのかも知れません。
自らが愛を知らないのに、心の奥底で、他者に「私が愛をあげたい」
「私が愛を分けてあげたい」
「私が愛を配りたい」
と思い込んで来たのです。自分が得られないものだったから、他者に施す事で取り戻したい、という、一見すると不思議な考え方です。
他者からすれば、そのような「施し」や「同情」など、余計なお世話です。
うざいです。迷惑です。
しかし、そんな思い込みが、おそらくは私の毛穴という毛穴から溢れ出ていたので、女性はそれが何なのかは分からなくとも、動物的本能で察知して、
私の事を「なんか違う」「脅威になり得る」と睨みつけたり、嫌ったり……だったのかも知れないなぁ、と
ようやく感じ始めました。理由が分かり、納得すれば、変えて行く事も出来るはずです。
先週、出会いがあり、その女性のステージを観て来ました。ストリップです。
23年前に私は演劇でストリッパー役を演じました。その頃、勉強の為に浅草ロック座も観に行きました。23年前ですから、当時は女性客はとても珍しかったです。多分、私一人だけだったと思います。ボーイッシュな服装でキャップを目深に被り観に行きました。
その後、渋谷道頓堀劇場でもストリップを観ました。
だから観るのは、今回が3回目でしたが、実は今回が一番私が演じた役に近づける劇場だったんだな、と感じました。客席が40数席しかなく、男性客が「でべそ」を取り囲む形で、客の息遣いもストリッパーの汗も感じてしまう劇場です。
昔は、場所を知らなかったからもありますが、当時25歳だった私はストリップ小屋には入り辛くて、大きな劇場で大きなショーを観たのですね。それは、役の為には、ズレていたと思います。
それでも、当時では、観ても受け止め切れなかったのでは……とも感じます。
知り合った女性がトリだったので、結果的に沢山の女性のショーを観ました。皆さん個性を発揮していました。あまりに近かった事もあり……しばらくは、生ものは食べられないような気持ちです。申し訳ない。
トリの女性は、さすが、最も表現力があり、踊りもキレがあって、美しかったです。そして、やはり知り合ったからなのか、観ていて少し私の身体が熱くなりました。他の女性には感じなかった現象です。
男性は、全員のストリッパーに身体を熱くしているのでしょうか。食い入る様に凝視していますものね。結構若いお客も多かったです。
ひとつのショーが終わる度に、照明が全灯となり、お客との撮影会となるので、それは私も照れくさいから、仕事の仕度を理由に、暗転中に劇場を出ました。
出た後、なんとも言えない気分ではありました。
女優、アイドル、モデル、AV嬢、ストリッパー、ホステス、風俗嬢……
女の仕事。世の中的にも、其々に属する女性同士にも、格付け?のようなものはありますね。
しかし、考えさせられて、女、自分の性を商売道具にする、敢えて書きますが「晒す」という意味で、上にあげた職業に大差はありません。
分類はむしろ同じで、通じ合います。それなのに、差別するのは変な事ですね。
知り合った女性が、「誕生日には脱がない。産んでくれた親に悪いから」と話した言葉が、何を意味するのかもまだ考え中です。ツッコミづらい発言ですよね。
出会ったばかりでまだ分からないのだから、私は彼女の事を言ってるのではないのですが、
上にあげたような女の仕事、自分の仕事に、「やりがい」「使命感」「矜持」はみんな持ちたい。持つけれど、本当に考え抜いてやって来たのか、やっているのか……自分自身も顧みてみます。
「使命感」とは、自分を正当化する為に考え出したのではないのか。
身を晒す事が、自分の癒しや救いになるように思い込んでいるのか。
冒頭の「私が愛をあげたい」のような精神構造ではないのか。「私が愛を分けてあげたい」それも欲望。癖?
「やりたいから、好きでやってる」その言葉の方が良いですね。水商売を私は「好きでやってます」と語り続けて来ましたが、果たしてそこにも欺瞞はないのか、よくよく考えてみます。
考えるきっかけをくれた彼女に、とても感謝です。ありがとうございます。