「親の死亡届を出さずに年金を不正に貰い続けていたある家族の実際にあった事件をもとに、是枝が家族や社会について構想10年近くをかけて考え作り上げた作品」


月日が経ってしまいましたが、
牛山馬男さんの記事を読んで、映画『万引き家族』を観ようと思い、7月1日に観ました。

牛山さんほどの、これほどの感性の持ち主がこんなに批判するのならば、観てみようと思ったのです。

観てから、何度か牛山さんの記事を読み返していました。

牛山さんの批判に感化された訳ではありませんが、確かにご指摘通り、この作品に、切実感はありませんでした。



映画には、スラムのような環境で育った私自身の家庭によく似た風景がありました。

そこを見世物的にされる事に抵抗も感じました。

彼の作品は初めて観ましたが、是枝裕和監督は、ドキュメンタリーも多く撮って来た監督だと言います。しかし、演出にあざとさが垣間見えます。

最も感じたのは、リリー・フランキーと安藤サクラの、二人で素麺を食べる場面。

素麺のおかわりを安藤サクラが持って来たけれど、そのおかわりも彼女が沢山食べてしまったので、器にはもう残り少なかったはずなのに、

乱れて卓袱台に素麺が束になってこぼれていた。あざとい。
あれが、素麺2本くらいだったらなぁ〜〜。リアリティを感じるけれど……。
思いつきでやってみたのかな。
あざとい。

書いていて、ふと頭を過ぎりましたが、ジョージ秋山の『恋子の毎日』という漫画に主人公カップルではないけれど、納豆を食べながらのラブシーンがありました。
もしかしたら、是枝監督は、ああいうイメージだったのかな。
そこには達していないですね。

ちなみに、本作のこのラブシーン、全く色っぽくありません。安藤サクラも少し緊張していたのか、素麺おかわりの際に、素麺を束になってすすり過ぎていました。明らかに。
自然ではありませんでした。


「己を知れ」

この題材で撮るならば、監督は、とことん自己欺瞞と向き合わねばならない。

女優陣、
樹木希林、安藤サクラ、松岡茉優の演技は高く評価出来ると思いました。

特に、安藤サクラ。彼女を映画では初めて観ましたが、クリーニングの工場で働く安藤サクラは、日本の、というよりアジアのどこか、アジアのどこでも居そうなリアリティある存在感を発揮していました。

ファッションも酷くて、しかし、現実にこういう女性は確かに居ますよね。

彼女を見ていて、北林谷栄が農村や漁村の地元のお母さん達の洋服を、「衣装にしたいので、そっくりそのまま私に譲って下さいませんか?」という事をやっていた、というエピソードを思い出しました。

安藤サクラが同僚女性に「殺すよ」と言う場面。
本気の「殺すよ」でした。
現代の日本の俳優・女優共に、この台詞を薄っぺらじゃなく言える者はなかなか居ない。

取り調べ中の、涙にも、心が揺さぶられた……。そこは、誰もが感じるところだと思います。

風俗で働く松岡茉優が、常連客と心を通わせる場面。

常連客の青年も、松岡茉優も拳で自分を殴る事がよくあるという共通点が。

私自身も20歳くらいの頃、よく電柱を殴って右の拳が腫れ上がり、血が滲んだ。いま現在でも右の甲の中指と薬指の間は引きつったような痕があります。
電柱、コンクリートの壁、堅ければ堅いほど怒りをぶつける事が出来ました。

しかし、拳が傷だらけになるほど、自分で自分を殴るのはかなり難しいと思う。青年はともかく、松岡茉優は真っ白い綺麗な身体を見せてしまっている。

自分で自分を殴るなら、顔・頭・胸・太腿あたりが想像出来るけれど、彼女にそんな形跡はなかった。

青年との共通点を示したくて、合わせて嘘を言っていたのか?となってしまわないか。
まさか、監督は、そこまで考えていなかったとでもいうのか。

取り調べの際、松岡茉優の拳は傷だらけになっていた。
役者は、よくやっていただけに、逆に引っかかってしまう。

子役の佐々木みゆ。泣き腫らしたような暗い目が役柄に合っていた。

リリー・フランキーと子役の城桧史(じょうかいり)には、ずっと中途半端さがつきまとう。存在の中途半端さ。それは監督の意図的なのか。

けれど、実は血の繋がりが一切ないのに、家族になろうとした者達と、血は繋がっていても気持ちがない・愛がない私の家族と、どちらが本当の家族と言えるのか?とも感じました。

題名にもなった『万引き家族』。
主に男の子が万引きをするのは、子供の方が油断されて疑われないからだろうし、男の子もその役割を果たして、自分の居場所を確保していたのだとは思う。そして、いつしかそこに彼自身が疑問を抱き始める。

しかし、何故かその描き方が中途半端で弱かった。何故だろうか。

この作品は、役の人物の名前が頭に入って来ない。
ほとんどの人物が偽名であったと言うせいもあるのかも知れないが……。
どうしても、役者自身の名前で観てしまっていた。

見世物的で良いのか。
見世物で作り物なのは、当たり前か。
題材は重いのに、ただ浅いところを漂うだけで、それで良いのか。

しかし、縁側、国語の教科書に載っていた『スイミー』の話、蝉の脱け殻、木を登る蝉の幼虫、突然の夕立、乳歯が抜けたら屋根の上に投げる……それは懐かしい懐かしい、子供の頃の風景が描かれていました……。

是枝裕和監督の、構想10年だという本作。日本人監督として21年ぶりにカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した事で話題になりました。

しかし、彼は何がしたかったのか。何を伝えたかったのか。

別の若手監督だが、山下敦弘監督や入江悠監督からは、それぞれ重さも深さも鋭さも神の目線も感じさせられる。年齢じゃないんだな、と感じさせられる。
国際映画祭の賞は、才能溢れるこういう若者に獲って貰いたくも思います。その後の映画づくりもしやすくなるでしょう。
(後から改めて調べてみましたが、山下敦弘監督は43歳、入江悠監督は今年40歳でした。もう若者……ではなかったですね。とってもお若い印象を抱いていました。)


是枝裕和監督の次回作は、日仏合作で、カトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュの母娘の葛藤を描く作品との事です。
フランス人女優はかなり手強いことでしょうね。