<教室の変遷>
当教室は12年前に、浦東の東櫻花苑(今は別名の公寓)から始まった。
その後、浦東の東和公寓・浦西の虹橋公寓・虹橋ヴィラ・虹橋豪苑等々、沢山の日本人が多く住む公寓で教室を展開した。
どの公寓も、同じ場所を長期に借りることはとても難しかった。
(中国では約束事が、コロコロ変わる。最初の話し合いはあまり最後までは成り立たず、(一方的な)変更やドタキャンは日常茶飯事だった)
<オリジナルの教室>
生徒が一定数に増え、やっと2018年に宝石公寓に自分の教室を持ったが、コロナの大流行により2020年3月にやむなく教室を閉じた。
コロナのパンデミックを恐れ、2020年1月末に私用で一時帰国していた私は日本に留まることを選び、間もなく家族も日本に一時帰国した。
その後間もなくして日本人は中国に入国が出来なくなり、同年10月に一時の入国規制緩和が行われ、私は運良く11月末にギリギリのタイミングで上海へ戻ることが出来た。
その後、12月にまた渡航制限が掛かって、それから私が日本の土を踏めたのは2年半後だった。
コロナのパンデミックは、全世界の人々の人生を少なからず狂わせる結果となった。
<コロナによる教室の影響>
2020年1月に100名程在籍していた生徒さん達は、2020年12月に教室が再開した時には、16名まで減少した。
多くの日本人が、日本への本帰国を選んだ。
夫を上海へ残し、家族だけを日本へ本帰国させた企業も少なくなかった。
それから約3年間、教室運営は黒字になることはなかった。
私は多くの辛苦を舐めたが、教室を閉じようと思ったことは不思議に一度も無かった。
この間、様々な日本人向け塾や教室が撤退したが、なんとか当教室は細々運営を行ってきた。
私は自分の生活の質を落としてこの3年間を耐えた。
<これからの教室運営>
私の希望は、生徒さん達に落ち着いた快適なお稽古環境を持つ教室で、質の高い教育を提供することだ。
そしてその教室に図書コーナーを復活させたい。
宝石公寓にオリジナルの教室を持っていた時に、子どもと親御さん向けの図書を作った。
お稽古が終わると、子ども達は書棚の前の狭いスペースに一列に並んで熱心に読書する。
オリジナルの教室が持てなくなって約3年、我が家には数百冊の本達がその出番を待っている。
小さな部屋に山積みにされた本達を、何度も処分しようか・・・と考えた。
しかし、一列に並んで楽しそうに読書していた子ども達を忘れることが出来なかった。
やっぱり、またオリジナルの教室を持って、充実した図書コーナーを作りたい。
そして、今、私が力を入れている子どもの発達障害児への教育関係の書籍と、子どもや大人の心の問題を取り扱った関連書籍を、上海で一番多く充実させた図書コーナーを作りたいという願いを諦めたくない・・・。
安定したオリジナルの教室を持つ為には、(不動産価格が高騰している上海では)どうしても80名程度の生徒の在籍が必要だ。
この数年間、オリジナルの教室を持つことは当然無理な話だ・・・と、ずっと諦めていた。
十数万人居た日本人が、数万人に減少した現在の上海の日本人人口では、コロナ前のような100名の生徒を集めることは実質不可能だと分かっている。
3月8日は上海日本人学校の修了式だった。
虹橋校だけで、この3月に本帰国や他の国へ移住する生徒は百数十名だそうだ。
果たしてこの春、上海日本人学校や上海の他の小学校や幼稚園に転入してくる子ども達は多いのだろうか・・・。
<ピンチはチャンス!>
何度もこの言葉で、この12年間上海の教室運営を乗り切ってきた!
中国経済が減速する中、それでもまだまだ日本人がこの上海に住んでいる。
そして、日本の文化に関心を持つ中国人も大勢いる!
発想の転換と創意工夫は、順調な時には真剣に考えないものだ・・・。
ピンチにこそ人は考える。
2024年度に向けて、あるヒントが浮かんだ!
先ずは、一歩動いてみようと思う。