オリンピックが開催されましたね。
てっきり開催はできないだろうと思っていましたから、ちょっとしたサプライズでした。
私は開会式を少し見たのですが、何だかいろいろな点で違和感を持ちました。
何よりも全体的に覇気がなく、暗いという印象でした。
天皇陛下のお言葉も、バッハ会長のスピーチも、コロナ禍での開催を配慮されてか、とても消極的に感じられましたし、
夜空に浮かび上がるドローンで形作られた地球もとても美しかった半面、ふらふらと危うくて、はかなさを感じさせられました。
一部ではCGオリンピックという噂もありますが、そう言われると確かにエネルギーの無いものに見えてきます。
今回が最後のオリンピックになるかもしれませんね。
いつも言うようにこの現実は幻想に過ぎないけれど、それが本当に幻想なんだということをわからせてくれるようなオリンピックです。
そう言えば、この現実が幻想に過ぎないという感覚は、コロナによってより強い確信になった気がします。
コロナに関連した情報を辿っていくうちに、歴史や宗教、政治、経済、科学、医療、メディア、エンタテイメントに至るまでことごとく私たちは偽りの現実を見せられてきたことに気付いたからです。
決して私たちを幸せにすることのない価値観を植え付けられ、それに振り回されてきたことを知ったのです。
思い返せば、幻想の社会で、幻想の価値観を握りしめた幻想の私を生きてきたなあと感慨深いもの?があります。
一度、気付いてしまったら、私たちはもう、元には戻れないでしょうから、否応なしに新たな価値観を模索することになると思います。
いつの間にか刷り込まれてしまったお仕着せの価値観ではなく、それぞれがもっと自分自身の深い部分で感じる本質的なものに価値を見出し、違った生き方を選ぶでしょう。
それは新たな幻想を生きるのではなく、幻想から抜け出すことにつながるのではないかと期待しています。
この私だと思っている『幻想の私』から抜け出し、『全体が私である』という視点を持つことになるという意味です。
そうなったとき、もう深刻さはなくなります。
この現実をドラマや映画の主人公として、その役柄を楽しむことができるようになると私は思います。
たまには私の写真でも(笑)