片付けの先にあった、美しい世界
昨日、オンラインでの片付けがいよいよ終盤に入りました。場所は、私の仕事部屋です。その前に、家の不用品を2トントラック2台分手放したばかりで、私の中では、分類も仕分けも整理も、ほぼ終わっている状態でした。「ちゃんと整っているはず」そう思っていた空間でした。だからこそ、ここからどんな提案が出てくるのか、少し楽しみにしていたんです。そのとき言われたのが、「収納の情報が多すぎて、違和感があるのでは?」「統一すると、もっとスッキリしますよ」という言葉でした。なるほど、と思いました。このどこか満たされない感じは、収納の色や形、情報量の多さが原因なのかもしれない、と。一度は、そう納得したんです。でも翌朝、収納ケースを見ていたとき、自分の中に、はっきりとした違和感が出てきました。これは欲しいものじゃない。ただ、機能的に収納するための道具。そこにお金を使うことに、どうしても気持ちが動かなかったんです。そのとき、やっと本音に気づきました。私は、収納を整えたいんじゃない。便利な部屋を作りたいわけでもない。美しい空間で、生きたかった。そう気づいて、窓際に機能的に作っていた収納を移動しました。すると、そこにぽっかりと空間が生まれました。その場所を見た瞬間、不思議なことが起きたんです。忘れていた「好き」が、一気に戻ってきました。過去に選んでいたカーテンのイメージ。前の家で使っていたステンドグラスの額。お花を飾ったときの空気感。どんどん、感性が立ち上がってくる。それまでの私は、ずっと部屋を「どんな役に立つか」「どう機能的に使うか」という視点で見ていました。でもその視点では、どれだけ整えても満たされなかったんです。そこから一瞬で、心地いい気持ちが明るくなる体が勝手に動くそんな空間に変わっていきました。古くて、おしゃれじゃないと思っていたこの家も、今は違って見えています。古いものが好きな私にとっては、本当は侘び寂びを感じる、好きなテイストだった。欠点だと思っていたものは、ただ活かせていなかっただけだったんです。そして、いちばん大きく変わったのは——掃除でした。あれだけ面倒で、やりたくなかった掃除が、今は、この空間や物を美しく保つ時間に変わりました。そして、自分自身を慈しむ時間にも。「早く掃除したい」と思っている自分がいることに、正直いちばん驚いています。きっと私はこれまで、理想とのギャップに諦めて、“機能的であればいい”と、自分に言い聞かせてきたのだと思います。でも、本当は違った。片付けの先にあったのは、効率的な暮らしではなく、毎日を慈しみたくなる、美しい世界でした。