ついにオルガンを習い始め… | さいちゃんの教会音楽な日々

ついにオルガンを習い始め…

 (10月23日 の続き)

 そんなこんなで、10年前にいきなりオルガニストになってしまい、見よう見まねで必死で礼拝の仕事をこなしていた私なのだが、その翌年1996年の夏にシュトゥットガルト音大のピアノ科を無事卒業した。日本でリサイタルをやったり、将来の可能性を探ったりするために6週間一時帰国し、再びドイツに戻ってきた9月、「あっ、そうか、大学を終えてようやく時間が出来た今、オルガンをちょっと習うチャンスかも」と思うようになった。何せ足鍵盤など全く使えなかったし、いつまでも教会のみんなに迷惑をかけてばかりいないで、もう少しマシに仕事が出来るようになりたいと常々思っていたのだ。

 そんなある日、街でおそろしく久しぶりに、知り合いの日本人オルガニストSK氏にばったり会った。私がドイツに来たばかりの時にずいぶんお世話になった人なのだが、当時は教会音楽の勉強を終えて、シュトゥットガルト郊外で実習をやっていたのだった。お茶飲みついでにオルガンを習いたい話をしたら、実習先の教会まで来てくれるならレッスンしてあげるよ、と意外にも2つ返事でOKしてくれた。

 それで喜び勇んでレッスンに通い始めたのだが……はっきりいって、気が遠くなった。


 とりあえず、足鍵盤を練習してクリア。

 それから、手鍵盤を練習してクリア。


 でも、手と足を両方一緒に弾くことが出来ない。(汗)


 特に、ピアノでいつも一番低音を担当する役目にあった左手が、その役目を足鍵盤に取られてしまって、今は真ん中を担当しなくてはいけないのだ、ということを理解してくれない。左手と足のパートは、両方へ音記号で書いてあるから余計脳内で混乱するのである。

 小さい頃からやっていたピアノと違い、この歳から新しい楽器を始めるのだから、一筋縄ではいかないだろうと思ってはいたが…_ _; 私がオルガンを習い始めたと知った周りのオルガニストの知人たちが口を揃えて、「ピアノが弾けるって、でもあとで絶対得よ~~~」と言ってくれたのだが、そんなことを言われても足鍵盤と一緒に弾こうとすると手も全く動かないわけだから、何が得なんだか全く理解できない。この頃の私は本当に練習しても練習しても思うように出来なくて、完全に気が遠くなっていた。

 まあ、でも、専門家になろうとしていたわけでもなし、そういう意味では当時は気が楽だったのかもしれない。SK氏はかなり専門的なことまで突っ込んでレッスンしてくれたのだけど、私としてはちょっとでも弾けるようになれば、それで満足だったのだから。ピアノ教師の仕事をしながら、こんな調子でオルガンを習う日々が結局1年ちょっと続いた。


 しかし、その状況を変化させる決断を、私がうっかり(?)下す時が来た。ピアノ科の卒業後、プライベートでピアノ教師の仕事をしながらも、自分の音楽家としての実力に限界を感じ、「この先どうしよう…」ということを真面目に悩んでいた私だったのだが、紆余曲折の末、「教会音楽を勉強したい」という希望を持つようになったのである。

 そこに至った理由はいろいろあるのだが、いくつか重要なものをあげると、1つは自分の中の、音楽の土台の部分が非常に薄っぺらだと感じていて、それを補う総合的な勉強がしたかった、ということ。小さい頃からピアノしかやってこなかったし、他の楽器に興味も持たなかったことが、ある意味大きく裏目に出ていたのである。もう1つは音楽の道の厳しさをつくづく感じていて、ただ「音楽が好き」というだけではこの道に留まるのは無理だと感じるようになっていたこと。自分の信仰と音楽という、2つの大切なものを関連付けることによって、自分が音楽の道に留まる理由を堅固なものにしたいという思いがあったのである。そして、教会音楽を勉強すれば好きなオルガンもまだずっと続けられるし、また神学の基礎も勉強できるという、一石二鳥的な考えも頭の中にあった。

 ただ、年齢も年齢だったため、決断をするにあたって非常に躊躇したことは確かだ。当時、プライベートのピアノの先生としての仕事も軌道に乗っていて、20数人も生徒がいたからそれだけで十分食べていけた。そしてピアニストとしてもそれなりの活動はしていたのだから、新しいことだらけでこの先どういう成長を遂げるか全くわからない教会音楽の勉強を始めるより、ピアニストとして生きていった方が確実なのではないか、という思いもあったのである。実際、親しかった周りの人たちは、まさにそういう理由で私の進路変更を思いとどまらせようとした。

 決断できないでいるうちに、私は風邪をこじらせて熱を出してひっくり返ってしまい、しばらく仕事も休んで家にいる間に、じっくり考えてみた。どんなに考えてみても、「音楽家としてこのままではダメなんだ、何かしなくてはならない」という思いは変わらなかった。そして、とうとう覚悟を決めて、エスリンゲン教会音楽大学宛に「教会音楽を勉強してみたいんですが、チャンスはあるでしょうか」と手紙を書いたのである。1997年の12月末のことだった。


 1月に入って、エスリンゲン教会音楽大学の学長から直々に返事が届いた。「教会音楽の勉強に興味を持たれたとのこと、嬉しく思います。しかし、まずは教区で行われている教会音楽Cコースに入試の準備を兼ねて参加することをお勧めします。」と書かれてあり、そのCコースを担当している、シュトゥットガルト中央教区の教会音楽家のトップの連絡先が載っていた。
 Cコースというのは、教会音楽を本業としてではなく、副業としてやりたい人のための養成コースである。このコースを終えるとCランクの教会音楽家資格がもらえて、お給料がちょっとだけ高くなる。このCコース修了生の中でも優秀な人が、その後大学で教会音楽を勉強し、Bランク・Aランクの資格を取ってプロになるのが、いわばドイツでは普通の「教会音楽家への道」であるから、エスリンゲン教会音楽大学の学長は至ってまともなやり方を勧めてくれたことになる。

 そこで、手紙に載っていた連絡先に早速電話してみた。「ああ、エスリンゲンの学長から話は聞いているよ。Cコースは9月スタートなんだけれども、入試のことを考えているのであれば、まずオルガンのレッスンだけCコースの枠内で始めたらいいと思う。僕はCコースの生徒は取らないんだけど、僕のアシスタントとして教えている教会音楽家T氏を紹介するから、電話してみて。話はしておくから。」と言われ、電話番号をもらった。

 数日おいて、T氏に電話。「うん、話は聞いてる。今しばらく時間がないんだけれども、2月の最後の週からでよければ、2週間に1回のペースでレッスンするよ」と言われ、最初のレッスンの日を決めた。こうして私はCコースに入ることとなったのである。


                                    (Cコースから教会音楽大学へ、の話に続く)



 ※ オルガンアカデミーの記事、やっと2日目の分のアップ完了。ただいま3日目の分を執筆中ですので、よろしく。