嬉しいけれど、複雑な気分。 | さいちゃんの教会音楽な日々

嬉しいけれど、複雑な気分。

 珍しく空きの土曜日で家にいたら、これまた珍しい時間に電話がかかってきた。「あの、あなたは私のことを知らないかもしれませんが、Tというものなのですが…」どう聞いてもおばあさんの声である。
 気がつくのに3秒ほどかかった。「もしかして、Hさんのお知り合いではないですか?」「そうです、そうです」と電話の向こうからちょっとホッとした声。
 Hさんとは、一昨年の12月に92歳で亡くなった、私の最年長のピアノの生徒だった方だ。生徒とはいっても人生の大先輩、さんざんお世話になったのは私の方である。そのHさんの話によく出てきたのがTさんで、「元司書で、非常に頭の切れる博識な女性」だと聞いていた。確か東欧出身の方なのだが、直接お電話をいただいてビックリである。
 「私は今、ドイツに身寄りがないので、自分が死んだ時のことを遺言状にまとめようとしているところなんです。そこで、私の葬式の時にあなたにオルガンを弾いていただけないかと思って電話したのです。Hさんのお葬式の時、オルガンを弾いていたのはあなたですよね?あれを聴いて、よかったと思うのでぜひ…」
 ますますビックリ@_@ 確かにその通り、Hさんのお葬式では彼女の遺言で私がオルガンを弾いた。しかし、まさかそれがきっかけでHさんの知り合いの方からこんな依頼が来ようとは。
 「もちろん、喜んでお引き受けします。」とお返事して、遺言状に記入する上でどうのこうの、という事務的な話をした後で、Tさんは遺言状を準備しているなんて、どうしたのだろう?と少し心配になった。そこで「声を聞く限りでは、お元気なんでしょう?」と探りを入れてみた。
 「ええ、病気は一切ないのですが、足腰の関節が固まってしまっていて、上手く動かないのです。それでもう長いこと、家にこもってるんですよ」とのお返事だった。昼食はMaltester(主に独り暮らしの老人を支援する福祉団体)が運んでくれるし、他にも知り合いが何かと外での用事をしてくれるので、不自由はしていないという。
 そうはいいながら、しばらく身の上話をするうちに「今度機会があったら訪ねてきてくださいよ」と言って下さり、お電話番号をいただいた。「いきなり電話をかけて、こんなお願いをして快く引き受けてもらえるなんて、とても嬉しいです。」とTさんがおっしゃるので、「お電話いただいて、嬉しかったのは私の方です。今度近くに行く時はお電話させていただきますね。」と言って、受話器を置いた。

 こういう話が来るのは、ある意味とても嬉しい。亡くなったHさんがその橋渡しをしてくださったことも含め、「人と人との出会い」の不思議さを感じて暖かい気持ちになる。ただ依頼が「お葬式の奏楽」なのでなんとも複雑な気分である。Hさんに依頼されたときもそうだったが、このお引き受けした仕事の時が永遠に来なければいい…とどうしても思ってしまうのだ。人は確かに永遠には生きられないのだけれども…。
 残された時間がどのくらいあるのかわからないけれど、せめてTさんに直接お会いして知り合い、共によい時を過ごすことが出来たらいいなと思う。