少し前ですが、昨年の12月にスイスに出張に行ってきました。スイスのフランス語圏のローザンヌという街で、ここには2004年と2005年にも訪れたことがありました。当時追いかけていた美しいダンサーが所属しているカンパニーの本拠地がローザンヌだったのです。(過去のブログ 2022年6月27日『神様GPS』をお読みいただけると詳細が書かれております💦)


約20年ぶりに訪れるローザンヌは、関東近県の柄の悪いヤンキー駅っぽい雰囲気が抜け、少し洗練されていましたが、やはりとても静かなところでした。羽田からパリまで14時間55分、パリからジュネーヴまで1時間40分、ジュネーヴからローザンヌまで鉄道で30分…。2泊5日の過酷な旅で、ホテルに荷物を置いて休まずに(メイクボロボロ)ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)のスタジオに向かいました。

入口に向かっていくと、カンパニーのカフェテラスの窓越しに、静かに外を眺めている男性がいます。「あ、あれジュリアンですよ」と同行のスタッフの女性。本当だ…こっちを見て笑ってる…。
SNSではつながっていましたが、「ローザンヌへ行く」とは知らせておらず、猫耳帽とヒョウ柄のジャケットで飄々と訪れた私を見て彼は「冗談みたい」とウケていました。

「推し」という言葉がなかった頃、ジュリアンは私の推しダンサーで、自分はかなりやばいファンだったと思います。20代の彼はこの世のものとも思えないほど美しく、磨き抜かれた芸術性はダイヤモンドのようでした。来日公演で完全に魅了されてしまった私は「私はジュリアンを見るために生きているんだ」と思い込み、ライターとして稼いだお金をほぼ遠征に使っていました(太陽と木星の間に海王星がTスクエアで入っている妄想タイプ)。見ているだけでは飽き足らず、ファンである自分の存在を知ってほしくて、出待ちなどをしてジュリアンを当惑させていたあの頃。最初の追っかけの数年が過ぎると、大人としての良識を思い出し、その後は恥ずかしくて楽屋出口で待つこともしなくなりました。

カンパニーに着いて、広報と制作のスタッフに挨拶、取材の段取りを打ち合わせ。その後ふらふらとカフェテラスに向かうと、まだジュリアンはそこにいました。笑い上戸の彼は私を見て再び大笑いしています。彼が毎日いる場所に、いきなり私が現れたことが面白く、私も改めて自分のおかしさを自覚しました。「二日間公演を見るよ」「じゃあまた明日も来るんだね」。到着した翌日の12/17はジュリアンの誕生日で、その日にインタビューをし、バースデープレゼントを渡しました(笑)。

私の人生はこんな感じで、一般的にみるとどう考えても公私混同なのですが、この取材を依頼してくださった招聘元とは色々なご縁があり、その発端になったのがこのカンパニーのファンになったことでした。
ジュリアンは1977年12月17日生まれ。他のたくさんの先生にもチャートを読んでいただきましたが、この世界でダンサーになるべくして生まれてきた人です。「過去世において三回くらいダンサーになりたかったのになれず、今回の人生でやっとダンサーとして生きることが出来ている」と分析した先生もいて、納得。「あなたのダンスには、過去に生きた大勢の男性と女性の影が見える」とオカルト的なことを伝えたこともありましたが「知り合いのTVディレクターにそのことを話したら、すごく納得していた」と返してくれました(最初は不気味がられていましたが、途中からメル友になれたのがよかったです)。

26歳だったジュリアンの46 歳の誕生日にローザンヌにいられたことは幸せでした。改装されて綺麗になった現地の劇場で観る初日のダンスは素晴らしく、技術にも全く衰えがなく、年相応の渋い魅力も加わっていて「本当にこの人は舞台人なんだ」と感動しました。彼のダンスは射手座的です。高潔でユーモアがあり、哲学的で古代ギリシアを思わせる雰囲気があります。
何より射手座の寛大さが彼の魅力だった。
故ダイアナ妃の写真プリントのタンクトップを(真冬なのに)着て大笑いしているジュリアンは、20年前と同じくらい素敵でしたが、なぜかもうドキドキしない。かつて彼のまぶしさは太陽のようで、近づきすぎると焼き尽くされそうでしたが、今は銀河のように大きく大らかで、温かさに包み込まれるような心地よさがありました。
 

ジュリアンを見るために涙目になって世界中をさまよっていた20年前の自分が癒され、頭の中で宇多田ヒカルさんの「Time will tell」が鳴っていました…。カンパニーの創始者で振付家のモーリス・ベジャールは1927年1月1日生まれで、彼の木星は水瓶座26度にあり、私の太陽の度数と同じです。ベジャールの知性が、私に幸運を授けてくれた運命にもしみじみします。
 



モーリス・ベジャール(1927-2007)
カンパニーのカフェテラスで撮影