もうすぐ太陽が水瓶座に移動。21日の午前中には冥王星が水瓶座に入ります。現実面での変化は穏やかでしょうが、山羊座で太陽と冥王星がコンジャンクションしていた猛烈な(!)状態から、水瓶座で太陽と冥王星がコンジャンクションする状態に切り一気に変わるというのは、なかなかドラマティックです。王道12宮の10番目の山羊座で、「人間存在」は一度完成形に到達しますが、水瓶座ではそれが破壊されて未知の新しい何かになる。水瓶座、魚座という11番目、12番目の星座というのは予測不可能な混沌システムです。

 

人間をいかなるスケールで測るかということで、冥王星山羊座時代には「脳ブーム」があったと思います。脳科学も脳医学も客観的なデータをもとにアカデミックなジャンルとして確立されていますから、スペシャリティ(権威)の先生方が登場すると、どうしても恭しげにお話を聞いてしまいます。犯罪者の心理、劣等感のシステム、脳はいかなるときに錯覚するか…それでも、占星術を扱っているとどうしても物足りなく感じてしまう。個別の魂に触れる言葉がほとんどないからです。

 

青石ひかりは9ハウスで水瓶座の太陽と水星がコンジャンクションしているため、頭が悪いのにアカデミックな世界で仕事をしています。西洋音楽=クラシック音楽の評論が私のもうひとつの肩書きです。語学も怪しく、出身大学もマイナー、なのにサントリーホールや東京文化会館というメジャーなホールの、結構いい席でコンサートを聴いています。なぜそんなことが可能かというと、やはり9ハウスの太陽と水星のおかげでしょう。クラシックの評論をやる以前はロックのライターをやっていましたが、やたらと海外出張が多く、ロサンゼルスにはレコード会社のお金で11回くらい行ったと思います。西洋・欧米の文化と縁があり、パスポートは入国スタンプだらけです。これも9ハウス的な事象でしょう。

自分の精神を脳科学で分析しようとは思いません。最近「女性はなぜ男性より自信がないのか」といった内容の本を読みましたが、私がまったく経験してこなかったことばかりが書かれていました。子供のころから体格が良く、親から「女の子らしくしないで」と毛糸のパンツをはかされてドングリのような髪型にされていた私は、体育をはじめ「できないこと」がたくさんあったのに、自信満々で愉快な子供に育ちました。10ハウスの土星がノーアスペクトなこと、そのそばに火星がいて元気いっぱいなことなどが根拠だと思います。父は底なしに優しく、男性に対して脅威も劣等感を抱いたこともなかったので、確かに最初の就職のときは「世間の男の人たちってこうなんだ…」と驚くことばかりでした。

先日、現代を代表するアメリカの大作曲家、ジョン・アダムズが来日し、自作の曲を日本のオーケストラと共演するというエキサイティングなコンサートがありました。大きな話題になっていましたが、曲のスケールもオーケストラの熱演も、ジョン・アダムズの指揮もとにかく天才的です。1947年2月15日生まれの彼のネイタルチャートには、風のグランドトラインの上に火の矢がついた「カイト」がはっきりと浮き上がっていました。グランドトラインは双子座の天王星、天秤座の海王星、水瓶座の太陽・火星のコンジャンクションで作られていて、カイトの先には獅子座の土星・冥王星のコンジャンクションがクリスマスツリーの星のように輝いています。普通の脳の状態ではないし、普通の人の運命ではないな…と思いました。こうした分析をクラシックの雑誌で書いてみたいのですが、まったく採用されることはありません。外側から見たジョン・アダムズを神のように崇め奉るだけの原稿が紙面を独占します。

 

「なぜ彼はあんなものを作ったのか」「なぜあんな偉業を成し遂げられたのか」あるいは「なぜ人間とは思えないような凄惨な犯罪犯したのか」を知りたいとき、一番早いのはネイタルチャートを見ることだと思います。コンクールで優勝した新人ピアニストはここから頑張り続けてくれるか…だいたいはチャートでわかります。

鏡リュウジさんと以前お話したとき、鏡さんなりに日本の大学のアカデミズムと、占星術という「オカルトと認識されていること」の間で葛藤されたというエピソードを聴いたことがあります。英国では「魔女学」も学問として成立していますから、占星術に関しても知的な本門分野としてのリスペクトはあります。イギリスは未来的な国だと思いますね。

人間を「測る」尺度として、占星術は非常にニュートラルで万能なツールです。占星術そのものが「予言」のために使われてきた歴史が長く、水瓶座的です。物体や事象として見えないものを見るスケールを、水瓶座は持っています。

 

水瓶座冥王星時代とは、科学が絶対、医学が絶対であった時代から、多角的な学問が交じり合って最善の結論を出す時代になると思う。
「星占いと立派な学問を混ぜるな」と私は何度も言われてきました。クラシック音楽やオペラを、作曲家のチャートと関連付けて分析するのは馬鹿げているというのです。そう思うのは仕方ない、と途中から一切沈黙しましたが、ネイタルチャートと作品の性格が無関係だと思ったことは一度もありません。

占星術だけが偉い、と言いたいのではないのです。アカデミックな世界が占星術を軽んじるのがフェアではないと思う。タレントさんの恋愛鑑定だけでなく、芸術家や政治家の「魂」や「運命」をトークする番組があったら、日本には素晴らしい言論をもつ先生方がたくさんいます。しかしながら、超一流の占星術の論客は水瓶座を通り越して魚座であることが多いので、ディスカッションという形にはならないかも。彼らはただひたすら「魅了する」存在です。

 

水瓶座の西洋占星術関係者は、魚座と共闘して、新しい時代の言説を作り上げていかねばならないかも知れません。そのことできっと豊かになることや、美しくなることが増えていくと思います。
明日、冥王星がシフトしたら何が起こっているんだろう…黄金の夜明けを待つ気持ちです。