SAD発病の中2の前に 私はじしょうこういをしていました。
小学4年生からです。
どこから書けばいいか・・・・・
なるべく簡単に書きます
私は幼稚園年長くらいからしばらく父方の家にあずけられていました。
弟をお母さんが妊娠して私の面倒をみるのも大変なくらいお母さんの体調が良くなかったからです。
お母さんの実家はとなりの熊本なので
幼稚園がある私は同じ市内の父方に預けられたんですが
出戻りの父の妹が子連れで祖父母宅に暮らしていて
私からいうおばさんは悪魔のような人でした。
私より4つほど上のお子さん(私のイトコ)は私と仲良くしてくれたんですが
外食に行くのも私は置いてけぼりだったり、
祖父母も私のイトコと私で食べ物もおやつも差をつけますし
居心地悪かったです。
やっと出産を終えやつれたお母さんとまた過ごせると思ったら
お母さんは 強迫神経症、というものになっていて
なにもかも汚い汚い
外に少しでたら 犬の糞をふんだかもしれない
弟が病気になったらどうしよう、汚いから病気になったらどうしよう
と
布団から出られず家事も出来ず毎日泣いてばかりで
父はそのストレスを私を殴ることで解消していました。
なにかにつけ いちゃもんをつけ、火がついたように怒鳴り散らして
多い日で一日
殴る、蹴る、30発
洗濯叩きで肩を叩かれたときはランドセルを背負えないのでズルズル引きずって片道40分近くの道を登校しました。
でも、暴力を受けて悪いことばかりではなくて
肩の蚯蚓腫れやアザを見て先生たち、大人が心配してくれるんです。
それが、当時嬉しかったのを覚えています。
けど、心配してくれるのも今では表面だけだったんだな~と今だからこそ分かります。
本当に心配だったらなんらかの行動で助けようと、私だったらきっとするでしょうし・・・・(苦笑
でも当時の私には それが支えであり 救いでした。
が、父のストレスは私が受け、私は自分でため込むのもできず
私のストレスはクラスの気が弱い子にこの頃向いていました。
今思えば最低だったなあ。。。。と。
父の帰宅後 ご飯を父が作り、片付け、洗濯して、お風呂わかして入って・・・
なんやかんやで家族は深夜3時に寝るので
私も睡眠が足りず学校で寝てましたが
小学3年生のとき、父がついに職場で倒れ、そのまま家に帰って来なくなりました。(お金は毎月ポストに入ってましたが顔は絶対見せず1年くらいは別居、でした)
その間、お母さんはやはり強迫神経症のままで私と弟の面倒をみれないので
母方の祖母が父の代わりに住んでお世話をしてくれました。
責任感が強く真面目な母は
おばあちゃんがいるときは泣きながらパニックを起こしながらも少し家事をしていた記憶があります。
別居状態中ですが少し動けるようになったお母さんを連れて精神科に通院するようになったら
信頼できる先生に会ったそうで お母さんはすっごい速さで良くなり
普通に生活できるようになって父も戻ってきて、祖母は熊本に帰りました。
でも私はというと急に今まで泣いてばかりで布団から出れなかったお母さんが元気になって
急に自分一人逃げ出した父がノコノコ帰ってきて
なにもなかったような生活についていけず
それはそれで何かイライラして
反抗期だったのかなんなのか ただの性格ブス自己中でした
誰に対してもカチンとくる喋り方しか出来ないし
長くなってしまいましたが
それで お母さんに言われたのです。
「アンタなんか生まなきゃよかった。」と。
それがきっかけです。
図工でイトノコを使っていたので
はじめて しのうと思ってイトノコで左腕を。
その傷が一番ひどかったようで未だに残っています。
お母さんは弟が生まれてからいつも弟ばかり溺愛していましたが
私は弟が生まれる前確かに一番愛されてた記憶があるので
お母さんが大好きでした
曲がった性格になっても大好きだったので たぶんショックというか
もう お母さんにそんなこと言われたら生きていてはいけない、と
ちは沢山出ましたがしねるわけもなく
ただ、スーッと 気持ちが楽になる気がしました
痛みにばかり意識がいって
悲しいとか精神的な苦痛は軽減されていくので
小4のそれから 私は何かある度に じしょうこういをするようになりました。
SADになってからです
傷あと気になりだしたのは;
人目が気になるんです;;
でも辞めれたのはつい最近・・・
今の職場になってからなだけで、23歳まで 傷あときになるけど
当時にとって じしょうこういが支えというかそれしかストレス発散とか感情コントロールのすべがなかったからずーっとズルズルズルズル
グダグダになりましたがこれが私の じしょうのきっかけです
次は高校卒業後 はじめてバイトした
ショッピングモールの1F食品売り場の品出し と 病気について書きます。
それでも 大人になって半袖になるのが嫌だなぁとか