今日は、どうしてわたしが、スピリチュアルな世界のことを学ぶことになったのか、そのきっかけを書いていきたいと思いますニコニコ

わたしは、小さい頃から、他人のことをじーっと見つめてしまう癖がありましたキョロキョロ

それは、自分と同じ空間にいる人間が、どういう感情でそこにいるのかを、常に無意識に感じ取ろうとしていたからです。

怒っている?
怒っていない?
楽しい?
わたしはここにいて大丈夫?

自尊心が低かったわたしは、常に一緒にいる相手に迷惑がかかっていないのか、嫌われていないのか、不快な思いをさせていないのかが気になり、相手を見つめ、感情を読み取り、空気を察知していました。

それがやがて、抱えきれる量を越えてしまったのか、パニック障害にかかってしまいました。

パニック障害とは、とくに体に問題があるわけではないのに、突然動悸、めまい、呼吸困難、嘔吐などの発作が起き、その症状がいつどこで発症するかわからないため、行動が極端に制限される病状のことです。公表する芸能人もここ数年でかなり増えましたね。

わたしは高校時代に発症し、電車に乗れなくなってしまいました。そのうち学校にも通えなくなってしまい、通信制の高校に転校しました。

その後通信制の高校をなんとか卒業し、専門学校に入学しました。
毎朝父親に車で最寄り駅まで送ってもらい、そこから徒歩で通っていたのですが、毎朝口に袋をあて、泣きながら嘔吐し、数歩歩いてはしゃがみこみ、また歩いては嘔吐し泣いて…、地獄のような学校生活を送りました。

1日が終わる頃には疲れ果て、毎日毎日死にたくなり、ボロボロになっていき、生きる意味がわからなくなっていきました。

ショッピングに出掛ければ発作が起き、バスに乗れば発作が起き、外出すると不安が発作を呼び、段々と日常が送れなくなっていきました。

どうしてわたしは普通の日常が送れないのか?
この状態はいつまで続くのか?
苦しくて苦しくて仕方がない。
家族にも関わる人にも、自分が生きているだけで迷惑がかかっていると思い込み、死ぬことしか考えられなくなる日々が続きました。


そんな状態が長らく続いたある日の深夜。
真っ暗な部屋で明かりもつけず、わたしは携帯電話で「生きがい」と検索しました。(当時はスマホなんてありませんでした笑い泣き)

すると、ある無料で公開されている論文にたどり着きました。 この論文こそ、わたしの人生観を一変させ、わたしというちっぽけだった人間が、逞しく生きていけるようになるきっかけとなるのです。

その論文には
【人間は何度も生まれ変わっている】
と書かれていました。

雷に打たれたような衝撃を受けました。

自分の意思で生まれてきたわけでもないのに、自分で消えることも許されない。約80年の人生、死ねば終わるだけの人生に、一体なんの意味があるのか?

苦しみの中何度自問自答しようとも出なかった答えが、そこには書かれていました。

毎日毎日泣くことしか出来なかったわたしは飛び起き、この論文を朝まで何度も何度も繰り返し読みました。

毎日流していた苦しみの涙とは違う涙を流し続けながら、何度も何度も何日にもわたり読みました。

「たった一度きりの人生なのに、こんなにも苦しくて仕方がない。生きていても仕方がない」という人生観から、「過去世を経験して今がある。今苦しくても来世がまたある。ならば、今世をどう生きることが最善か?」という人生観へ変化し、現在の苦しみへの捉え方が変化しました。

きっと大丈夫。
そんな風に捉えられるようになっていきました。

それからもしばらくの間、パニック障害の治療の為通院していたのですが、ある日、急に「わたしはこれ以上薬で良くなることはない。ここから先完治するためには、自分自身が逃げずに頑張るしかない。わたしを治すのはわたししかいない」と、強い気持ちが込み上げてきました。

主治医に伝えると、慎重に診断してくださり、間も無く通院を終えることが出来ました。
「先生のお陰です。ありがとうございますおねがい」とお伝えすると、「それはひかりさんが治そうと頑張ったからですよキラキラ」と言ってくださいました。とても嬉しかったことを覚えています。



スピリチュアルなことを勉強された方は、一度は「自分も直接サポートしてくれる存在を見たり感じたりメッセージを受けとりたい」と思われるのではないでしょうか。

わたしもそうでした。
知識として知っているだけではなくて、自分も直接見たり感じたりメッセージを受けとりたいと思っていました。

そこでわたしは守護霊に祈りました。
「わたしは人生をかけ、真剣にスピリチュアルなことを学びたいのです。この必死な気持ちが伝わっているのなら、今わたしの声が聞こえているのなら、同じく真剣にこの世界のことを探求している人と出会わせてください。わたしと同じ熱量で語り合える人と縁を繋いでください。どうか、どうか、お願いします。」

部屋で一人、真剣に祈りました。

しばらくして、わたしはタカテルさんの個人セッションを受けなければ、と突然思うようになりました。

もともと慎重派でフットワークが軽い方ではないため、即行動に移すことはありませんでした。

しかし、時間が経つにつれ、自分自身がセッションを受けたいと思う気持ちより、「目に見えない何者かが、わたしにセッションを受けさせようと、圧力に近い後押しをしてくる」感覚が強まり、日に日に無視できなくなってきてしまいました。込み上げる感覚を押さえ込むことが日に日に難しくなっていきました。

実はこれまでに何度も同じような経験をしてきました。

何者かがわたしを猛烈に後押ししてくる。
それを無視して、やらないでいるほうが難しい。

不安になりながら、後押し通りに行動にうつすと、100%の確率で、人生が良くなっていくのです。

通院を終えたとはいえ、日常的な行動とは違う行動をとることに不安がありましたが、日々膨らんでいく「セッションを受けなくては」という感覚を信じ、セッションの申し込みをしました。

そこでタカテルさんとお会いすることになりました。(一度違う形でお会いしてはいましたが、きちんと会話をしたことはありませんでした。)

それから今に至ります。

守護霊側からすれば、「あなたの真剣な祈りに対する答えとして、タカテルさんに会いなさいとこれだけ伝えているのにも関わらず、なぜ頑なに行動にうつさないのですか?」と言いたくなっただろうと思いました笑い泣き

神様にお願いしても、守護霊にお願いしても、最後の最後に行動にうつすのは自分ですね。

わたしは自分に自信がなく、自尊心も低く、周りの顔色ばかり気にしていたため、自分の人生を力強く自分自身で切り開いていく「父性」に問題がありました。

ですので、せっかく後押しされていても、祈りへの答えだとわかっていても、中々行動にうつすことが難しかったのです。

「わかっているのに出来ない」という方は多いのではないかと思います。わたしもそうでした。

タカテルさんのセッションを受けながら、自分自身の小さな問題にも、真剣に向き合いました。

人は自分に向き合うと、時にとてもつらくなります。
出来れば向き合わずに済ませたくなるものです。

苦しくなりながらも、真剣にわたしが取り組む姿に、守護霊や宇宙人、神々達が手を貸してくださるようになりました。

長年地獄のような時間を過ごしましたが、今振り返ると、あの苦しみを体験できたことは、わたしの人生における宝物となっています。

ここに書けないような、犯罪に巻き込まれる寸前の経験も何度もしています笑い泣き
命があって本当に良かったです。

これらの経験を生かし、苦しみ悩む方々の役にたてますよう、これからも努力していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致しますおねがい

ちょうちょパニック障害等の症状が、決して投薬なしで治るということをお伝えしたいわけではありません。
わたしも長年薬で治療を続けたので、良くなっていきました。

「もっと自分よりつらい状況にいる人だっているのに、これくらいのことで死にたいと思ってしまう自分は情けない、甘えている」と自分を責めてしまう方がいたら、伝えたいです。かつての私です。

あなたがつらいと感じている気持ちは、人と比べるものではないんです。
あなたが今つらいならつらいんです。
自分に甘えているわけではなく、真面目だから優しいからそうやって自分を追い詰めていってしまうのです。

自分を責めないでくださいね。
それが難しいこともよくわかります。
でも、それでも、責めないでくださいねチューリップ