昨日から、また身体がメチャクチャ重く、瞬間接着剤でベッドに身体が張り付いたかのようだ。
さっきまで、目を開けるのも重かった。
ただ、わたし自身の内側は、本当に軽くなっている。
まだ外側には何も現れていないけれど…あ、ちょっと、その兆しの兆しみたいなものはあるかもしれないか…
でも、身体も全然万全ではないのに、もう焦りが全然ない。
今までの人間関係、何か大きな動きについていくような、そんな事に動かされる事も今はない。
ほんの小さな事がもの凄くありがたかったり、何だか幸せだな、と感じたりしている。
ありがたい、を感じようとするのではなしに。
あとは、「自分」という形を、自分で創ろう、納得出来る形の自分でいよう、とすること、そのコントロールを手放しつつある。
自分の頭で自分の形を創ろうとすれば、これから出てくる可能性の芽を自分で摘んでしまう。
形のない、矛盾だらけの自分のままでいい。
叶えよう、と執着することは、随分なくなった。
まあ、何かどうにかなるだろう、と、感じている。
いままで、そう思おう、としていたところが、気がついたらそうなっている。
なんだか不安でもない。
何者でもない、という事がこわくなくなった。
それが最大の受け入れモードだ、と何となく思っている。
このエネルギー、何だか春分当日よりも莫大に感じている。
なるべく余すところなく、受け取りたい。
さっきまで、目を開けるのも重かった。
ただ、わたし自身の内側は、本当に軽くなっている。
まだ外側には何も現れていないけれど…あ、ちょっと、その兆しの兆しみたいなものはあるかもしれないか…
でも、身体も全然万全ではないのに、もう焦りが全然ない。
今までの人間関係、何か大きな動きについていくような、そんな事に動かされる事も今はない。
ほんの小さな事がもの凄くありがたかったり、何だか幸せだな、と感じたりしている。
ありがたい、を感じようとするのではなしに。
あとは、「自分」という形を、自分で創ろう、納得出来る形の自分でいよう、とすること、そのコントロールを手放しつつある。
自分の頭で自分の形を創ろうとすれば、これから出てくる可能性の芽を自分で摘んでしまう。
形のない、矛盾だらけの自分のままでいい。
叶えよう、と執着することは、随分なくなった。
まあ、何かどうにかなるだろう、と、感じている。
いままで、そう思おう、としていたところが、気がついたらそうなっている。
なんだか不安でもない。
何者でもない、という事がこわくなくなった。
それが最大の受け入れモードだ、と何となく思っている。
このエネルギー、何だか春分当日よりも莫大に感じている。
なるべく余すところなく、受け取りたい。