私は歳をとることに凄く怯えていました。



みなさんはどうですか?


スーパーの陳列棚に、パッと映った自分の顔。
ふと、仕事帰りにみた電車の窓。



私ってこんなに老けてた?
って思いませんか?






私は思います。
子供たちが寝た後の、洗面台で見る自分が嫌で仕方ありませんでした。





特に、30代にはいり急に増えた白髪が1番ショックでした。



白髪って、黒髪に比べたら新人のくせに、すごい主張しませんか?笑
おとなしく髪の中に隠れていてくれたらいいのに、立ち上がって跳ねてくるんです。



でも、その時は白髪染めなんて、なんか恥ずかしいし、白髪隠しみたいなものを買うのも躊躇っていました。

周りは気にならないと言ってくれるけど、自分が気になるんですよね。




でも、
なんで、そんなに気にするんだろうって考えたら、漢字がよくない。





は?




と思うかもしれませんが、白髪とかシワとかって「老化」という言葉でまとめられる。
でも、この「老」って漢字がすごく嫌なんですよね。





老いるとか、老人とか、老若男女に使われたりとか、「若」の反対語でしょ?



女性はとくに、異性や社会から、若い子と比べられがちなんです。
だから、「若」や「老」に敏感。



そして、自分でも若い子と比べてしまう。
自分と若い子の違いを「老」という言葉で片付けて傷つく。



でもね。
違うの。
私たちは「老」じゃなくて「上」がったの。
「老化」と「退化」は違うの。




おとなの階段上ぼる〜君はまだシンデレラさ〜




と歌詞があるように、私たちは大人の階段を上り続けているのです。



お母さんから産まれたときって、何もできない赤ちゃんでした。そこから、歩けるようになると、幼児になり、そこから小学生、中学生とか階段をのぼっていく。


その過程で、自分の名前が書けるようになったり、自転車が乗れるようになったり、一人で電車に乗れるようになったり、私たちは大人の階段をのぼって、上にいく。





ある程度の年齢になると、この階段は消えるって思う人が多いけど、実は今も階段に上り続けている。






その過程に、シワや白髪がある。
それは、私たちが生きた証。
階段を上って手に入れたアイテム。





たくさん笑い、たくさん悩み、そして、たくさん幸せだった証。





私たちはいつだって、シンデレラのようにガラスの靴を履いているし、いつだってガラスの靴を履くことをが出来る。



心にもガラスの靴を履くことができる。
いえ、もっと素敵なダイヤモンドの靴を履くことができる。

でも、たまに、ガラスな靴を脱いで裸足で走りたくあるよね。
その靴が割れてしまう時もあるかもしれない。





でも、大丈夫。


私が、その靴を直して履かせてあげる。


ガラスじゃなくてダイヤモンドで作り直して上げる。