最近は「2025年7月5日」の預言についてさかんに言われている。
過去には、2000年?1999年?だったかのノストラダムスの大預言。
そして2012年?マヤ暦だったか、アセンションの預言。
定期的に“預言”の話題がやってきて、そして結局何事もなく終わっている。
今度こそ、今度こそ、、の終わりの預言。
そういう話題に乗っかって騒ぎ立てるのは、きっと世の中(この世界)が終わって欲しいというのが、私たちの潜在的望みなのだろう。
そして、ほんとうに、ほんとうに終わって欲しいのか?
今朝、別に2025年に関する記事を見ていたわけでもないのに、大津波に襲われる夢を見た。
どこか知らない建物内のホールの階段状になっている1番上まで上がって、ギリギリのところで助かった。
その津波で助かったのは1割。
その後、今はもう疎遠になっている昔の知り合いと出会って、この人たちは生き残った人たちなんだと思ったら感慨深かった。。
という、そんな夢を見たのだけれど、そんな夢を見たのは初めてだったけれど、それをわたしは預言や予知夢なんて思わない。
夢占いのような今のわたしの精神状態が反映された夢なのだろうと思う。
夢で見たからそれが現実になる。
それはある意味馬鹿げた思想。
ほんとうにそうなったらどうしようという不安からくる妄想。
あるかも知れないし、ないかも知れない。
未来はまだ決まっていない。
未来は自分でつくるもの。
ノストラダムスもアセンションの預言も外れて現実にならなかった。
いつまでわたしたちはそういったものに惑わされるのか。
それは、自分の人生を誰かにどうにかしてほしいという人生の責任転嫁と責任放棄、他力本願願望に他ならない。