卻瘟神呪 (ぎゃくおんじんしゅ) | ゆるりのブログ

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https://youtu.be/55TLjJUzIhU



“キッサコ”さんの般若心経の音楽は以前から知っていて時折聴いていたけれど、最近になってたまたまこの「卻瘟神呪」を聴くことになり、特にその中の「サラギャー、サラギャー」の音の所で釘付けになった。



「めっちゃ惹かれる、好きだーこの曲」って思ったけれど、これはコロナ禍になってあの一時期流行った“あまびえ”のように、疫病退散の意味が込められたお経だという。



うーん…、でも私はコロナを信じていないし、もしあったとしてもインフルエンザ程度のものだと思っているし、わたしには必要のないお経のはず。



なのに、なぜこんなに惹かれるんだろう?と思った。



で、いろいろ調べているうちに閃いた。



昔から疫病、流行り病っていうのはあって、それは多くの人が恐れてきたものだけれど、けれども、それで多くの人が死んだとしても全滅ってわけではない。

(じゃないと、とっくに滅亡して私たちは存在していないはずだし)



その中でもまったく罹らない人、罹っても軽症な人というのも必ずいたはずで、重症化して死んでしまう人とのその違いはなんなんだろう?って思った。

(まあ、今のコロナと同じ状況だね)



それは、体質の違いと言ってしまえばそれまでなんだけれども、もっと言えば、それは“波動”の違いなんじゃないのかと思った。



病が流行るのは、それを流行らせるのはきっと私たちの「集合意識」だ。



人々の恐怖や恐れの念(意識)というのは伝播する。

(要はパニック感情だね)



数人たまたま亡くなった人(免疫力が落ちていた人)が出たとして、ひとたび、それが怖い流行り病だという風評が出ると、その恐れの“意識”が人々を飲み込むことになる。



その恐れに飲み込まれ、その病(ウイルス)との波長が合った人たちが重症化、果ては死亡に至るという構図。



つまり、そういうものにハマる人たちは、波動が低くなっている人たちだということ。



病を流行らせているのは、ウイルスそのものというより、人々の恐れの集合意識によって拡散されるということだ。



つまり、問題なのはウイルスではなく、人々の不安や恐れといった心の問題。



その隙間にウイルスが入り込む。



つまり、疫病とは人々の集合意識によって起こされる人災だと言える。



疫病とは、人々の重い念(波動)とも言い換えられる。



この「卻瘟神呪」は、その人々の重い念を追い払うお経だということ。



(わたしが一番惹かれた箇所、沙羅佉(さらぎゃー)は、追い払い給えという意味らしいし)



という風に考えると、今のわたしがとてつもなくこの疫病退散のお経に惹かれた理由もわかる。



恐れに飲まれ、パニックになって冷静な判断ができなくなっている人々の集合意識の影響から自分を守る、その念(波動)を自分の中から追い払うお経であるということだ。