大星神社を救え〜神様の支配〜 その2 | ゆるりのブログ

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大北斗七星結界、それが私たち日本人の自立を妨げているものなら、件の宮司はその呪縛から解き放とうとしているのではないか?

(もちろん、宮司本人は単なる私欲で動いているだけで、そんな意図はないと思うけれど)



神社を売り払おうと企むそのとんでもない宮司の行いを阻止しようと働く氏子さん、保江先生たちの活動は、至極当然で立派な行為のように映る。



けれども、それは本当にそうだろうか?



その宮司がやろうとしていることを“強制的”に止めさせる、変えようとすることは、その相手をコントロールすること、つまり「支配」しようとすることだ。



私たちは、それが「善行」であると信じられている場合、または言われている、教えられていることである場合、そこが盲点になる。



“良いこと”であれば、それは相手に押し付けても良い、強制(矯正)しても良いと、それが「正義」であって“正しい”ことだと本気で信じているのだ。



けれども、それは紛れもなく相手への支配行為だ。



支配したい側とされたくない側。



その摩擦によって起きるのが争いであり「戦争」だ。



そのことに“良識派”が気付けない限り、この話はどっちもどっち、泥かけ試合の平行線を辿ることになるだろう。



「良識ある良い人やものごと、言動に道徳心」



私たちは、そういった“理想”という幻想に惑わされ騙され、その思想に支配されている。



実際に、その大北斗七星結界が崩れたとしてどのようになるのか?



(結局のところ、なってみないと誰にも分からないだろう)



私たちに何か大きな“わざわい”が起きるのだろうか?



わざわいなら、過去からもう散々起こっているのではないのか?



戦争も散々体験したし、原爆も落とされた。



阪神大震災に、東北の大震災。



原子力発電所が爆発した。



そして、今はコロナのパンデミック。



それ以上の大きなわざわいが起きるとでも言うのだろうか?



それ以上ってどんなの?



人類滅亡?



そう、私たちは散々体験して来たのだ。



そして、その都度皆んなで乗り越え、立ち上がって、何とかなって来たからこそ“今”がある。



何を恐れることがあるのだろうか?



私たちは、そんな神様のご加護や結界に頼るのではなく、私たち自身の力を一番に信じるべきなのである。



それは、自分を過信するということではなくて、何事もなるようにしかならないという一種の開き直りというか、起こる出来事を自分の都合の良いようにコントロールしようとしてジタバタと足掻かないということである。



“大難を小難に”などと言って、いつも難から逃げることばかりを考えていないで、少々の難くらい来ても何とかなる、何とでも出来るという“自分への信頼”を私たちは取り戻さないといけない。



自分への信頼がある人は、少々のことで焦らないし取り乱さない。



何とでも出来るし、なるという“自信”があるから。



その自信が逆にその人から難を遠ざける。



なので、難を受ける覚悟あるその人の現実はというと、それとはうらはらに平和なものとなる。



それとは反対に、“〜になったらどうしよう”という不安に取り憑かれている人はそのままに、世間の出来事に振り回されることで不安な現実を自ら引き寄せ、そういう現実を生きることになる。



それが、自分の現実を創造するということである。



平和とは作るものではなく、神様といった“他者”から与えられるものでもなくて、自分自身で「創造」するものなのである。





おわり