気づいちゃった。
この世の愛、というかこの世界の愛?
この宇宙?の愛というのは、「自分への愛」しかないということ。
パートナーへの愛や、誰かへの狂おしいほどの愛や、わが子への愛と言われるものは幻想でしかないということ。
それらは、自分の好きなもの、大切なものだから、単に“愛の対象になっている”というだけのこと。
それ以前にあるのは、自分への愛。
そして、それが現す(意味する)ところは、この世界(宇宙)には、自分という存在しか存在しないということ。
とすると、周りのうまく行っている人や、幸せそうに見える人たちに対して羨望を抱く必要はない。
その人たちは、こういう人生があるよという人生サンプルを自分に見せてくれているというだけのこと。
言うなれば、世間とは、数多の人間による、壮大なる人生カタログとでも言おうか。
だから、自分はこれが良いな、これは嫌だなと、単純にその中から自分好みのものを選べばいい。
嫌なものを選ぶ必要はない。
嫌なものを選べば、嫌な現実がやって来る。
けれども、損か得か、普通は…、常識的に…etcといった世間の価値基準や世間体に惑わされ、振り回されている私たち。
“自分の好き”よりも、そういったものを優先させることで、自ら自分の嫌なもの、嫌いなこと、窮屈なことを選んでいる。
そうやって、自ら自分の気に入らない、苦痛の多い人生を選んで歩んでいるという、滑稽な人生のネタばらし。