今日は結婚記念日だというのに、夫は飲み会で不在。
まあ、もう何か特別なことをして祝うってわけでもないし、すぐ後には私の誕生日も控えているし、夫としては、そちらをメインに考えているのだろう。
にしても、家にはいて欲しかったかなぁと正直なところ思った。
晩ご飯メニューも、私一人だし、ここ数日の残り物を片付ける感じのさもしい、侘しい食事になるなぁ。
結婚記念日なのに。。
(ぐすん。)
と内心思っていた。
けれども、いざ食事の準備をする段になって、私一人だからといって手を抜かず、温めた方が美味しいものはちゃんと温めて、惣菜やおかずの一つ一つをちゃんと器に盛ってテーブルに並べてみたら、ちょっとした食事処の定食みたいになった。
わお!ご馳走じゃん。
そして、一人で静かにゆっくりと味わって食べれることが、なんて至福の時間なんだろうと思った。
むしろ、夫がいてくれなくてラッキー!的な?笑
夫がいたら、もうちょっと体裁を整えようとかで、他の惣菜を買ってきたり作ったりで、この食事はできなかった。
うーん、残り物だけでもなんて幸せ!
この至福の時間が、結婚記念日の思わぬ夫からの最高のサプライズプレゼントになった。
そして、ふと思ったのが、数日前に書いた「幸せになると死ぬは本当か?」の続き的に、私たちが至福を感じると、“もう死んでもいい!”と表現するのは、それが滅多にないことだからだ。
至福を感じることが滅多にない。
自分が死ぬことも滅多にない。
つまり、至福感を感じることは、自分が死んでしまうことと同じくらい滅多にないという比喩表現だということ。
ってことは。。
私たちは、至福感というものを滅多に感じられないような、そんなさもしい人生を送っているということ。
ちょいちょい至福を感じられるような人生を生きてたら、「もう死んでもいい!」なんて言わず、単純に「ああ、幸せー❤️」っていう表現だけで、きっと済んじゃうはず。
なんてことを思った。