無の状態になる方法 | ゆるりのブログ

ゆるりのブログ

私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。



無の状態になる方法。


それは自分自身の中を空っぽにすること。


余計な思考や考え事を自分の中から追い出すこと。


けれども、それを今の現代人がするのはなかなかに難しい。


瞑想をする人も、上級者の人は知らないけれども、まったくの無になることはないのではないか。


無にならなければならないと、無になること、何かのお手本を目標にしている時点でそれは無ではなくなる。





そして、さっきチラッとそのヒントが見えた。


それは、自分の中から一切の「情報」を消すこと。


私はさっき、写真のお茶を飲んでいたのだけれど、そのカップが有名作家の物だったり、お茶自体も、名の知れたどこかの良いお茶だったり、コースターも何かこだわりの物だったりすると、その物にはすべてその情報がタグ付けされてくっ付いて来る。


「私はお茶を飲む」というだけのはずの行為が、


私は◯◯のカップで◯◯の茶葉で入れたお茶を飲んでいる。やっぱり、◯◯のカップだとリッチな気分になれるし、気分が上がっていいな。でも、本音を言えば、もう少し容量が大きい方が良いなぁ。お茶も芳しく美味しい…。いや、もうちょっと濃いめが良かったかな?風味がいまいち出ていないよーな。淹れ方にもう少し改良の余地が…etc。


単なる「お茶を飲む」だけの行為が、そのタグ付けによって、更なる情報を引き寄せて来る。


それは特に、特定の「名前」が付くことで起こってくる。


いわゆるブランドやこだわりのといったもの。


それらは、自分自身が最初に感じた素直な感情、素朴な思い、感想を凌駕するものだ。


使いにくいな、思ったよりクオリティーがいまいちだな。


仮に、もしそう思ったとしても、いやいやあの有名ブランド品だから、ステータスだから、皆んなが認めている物だから、とても高価な物なんだから、そんなことを思う自分の方がその良さが分からない人間なんだ。


そう考え直して、自分の感じたことを打ち消す。


そして、そこにやっぱりブランド品は素晴らしい、それだけの価値があるという感想が上書きされる。





今回、私には何の情報もなかった。


お茶もカップもコースターも無名の物。


誰々からもらった思い出の品だとか、そういった特別な思い入れもない。


お茶はティーバッグだし、淹れ方のこだわりもない。


共通しているのは、値段も価値も関係ない、自分の感性で選んだ自分の好きな物だということだけ。


好きな物だから、そこに不快さは入ってこない。


いまいちだなと思うこともないし、無理に良いところを探そうともしなくていい。


余計な邪念や思考が入らず、そのままにすっと自分の体の中にお茶が入って来る。


そして、その瞬間後に思ったのだ。


あ、もしかしてこれが無の状態なのかもと。


そして、これがアイデンティティや何の評価も付いていない、本来の素のままの私であった瞬間。