長い長い時代の中で培われてきた私たち人間の共通意識。
たとえば、この世には神様がいて、私たち人間は神様に頼らないと何もできない。
私たちの、何かの願いを叶えてくれるのは神様という存在。
神様を冒涜したり、逆らうようなことをすればバチが当たる。
悪いことが起きる。
私たちは、神様の意思によってどうとでもなる存在。
私たちの運命は、生きるも死ぬも神様によって決められる。
とかね。
直接的な神様という存在じゃなくても、
◯◯をすれば運気が上がる。
◯◯の法則に従えば、願いが叶う。
◯◯をすれば人から好かれる。
私たちは、何かに従わないと、自分の運命や願いを叶えたりすることができない、幸せになれないと思っている。
それが、私たちの集合意識。
そうやって私たちは洗脳されている。
だから、私たちは無意識にでも自然と何かに従うようになっている。
カリスマ性のある誰かや、権力などの力のある誰か、自分が憧れる誰か、自分が知らないような知識や情報を持っている誰か、自分より強い誰か、弱い誰か、憐れな誰かや可哀想な何か、自分より優れている誰か、自分がかないそうにない誰か。
ほとんどの人間が、自分以外の力のある(ように見える)誰かや何かに進んで従う行動を取る。
そして、そういう人やモノたちにお金を払う、献金する、貢ぐ、寄付する。
だから、お金というのは、世の中のそういった抜きん出た存在の人たちのところに自然と集まってくる。
というか、この世の中自体がそのように作られている。
というか、私たち自身がそのように操作されている。
だから、その方法に則って、自分が何かの抜きん出た存在になれれば(一番わかりやすいのは教祖様)、今のこの世界で成功することができる。
それが、今のこの世の中での成功の仕方。
その逆を言えば、嘘でも過剰でもなんでも、うまく自分やモノやコトをカリスマ性のあるものにプロデュースできれば、誰でも成功できる(お金を集められる)のが今の世の中。
その法則に則って、それに従って生きるのが、この世の中での上手くておいしい生き方。
けれども、何かに従っている限りそこに自由はない。
◯◯したなら◯◯になれる。
◯◯しないと◯◯になれない。
そういう思考から離れない限り、私たちに本当の意味での自由は与えられない。