優しさと言う願いごと | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

私たちはよく「他人に優しく」とは言うが、「自分に優しく」とは言わない。

自分に優しくなんて言うと、自分を甘やかすなとか、自分さえ良ければとか、自己中、わがままと言ったニュアンスで取られることも多い。

要は、優しさの対象に「自分」と言うのが最初から入っていない。

そんな私たちが目指す理想標語は、「他人に優しく自分に厳しく」だ。

けれども、それは不可能なことらしい。

もし、それが出来る人がいるとしたならそれは自己犠牲の優しさだ。

自分さえ我慢すればってヤツ。

けれども見くびることなかれ。

そんな欺瞞に満ちた優しさは、他人に見抜かれる。

さとられる。

全然有難く感じない。

寧ろ押し付けがましく感じる。

それを、何となくでも感覚で分かるのだ。

その優しさは相手を幸せにしない。

自分も幸せにしない。

誰も幸せにならない優しさだ。

自分に厳しい人は、漏れなく他人にも厳しい。

人間は、そのようにしか出来ないようになっているらしい。

っていうのを誰かが書いていた。

その反対で、自分に優しく他人に厳しいと言うのも成立しない。

それは、自分に甘く他人に厳しいのだ。

甘やかしと優しさとは違う。

甘やかされて育った人間で、自分を幸せだと感じている人はいない。

甘やかされた人間は、自分で自分に優しくすることを知らない。

自分に優しく出来る人は、漏れなく他人にも優しくなる。

自分で目指さなくても、努力なんてしなくても、自然とそうなってしまうのだ。

ここで私の理想が立ち上がった。

私の願いごと。

そう言えば、もうすぐ七夕だしちょうどいい。

世界平和だの人権だの、動物愛護だの堅っ苦しいことや、屁理屈や小難しいことを言ってないで、私の願いはシンプルに。

すべての人が自分に優しく出来る世界。

それで、この世の中の問題とされていることはすべて解決する。