最近は、私の中でオレンジ色がブームだ。
オーラソーマで学ぶオレンジは、B26のボトルがショックボトルと言われるように、敬遠されやすいようだ。
私も、オーラソーマは学んでいないけれども、その流れからオレンジに対して何となく良いイメージを持てなくなっていた。
ショックを癒す辛い色というイメージになってしまっていた。
けれども、最近はその印象が「好き」寄りに変わっている。
一般的に言われる、ビタミンカラーというポジティブな印象で感じるようになっている。
自分で好んでオレンジ色を身に付けようと思ったり、そして、ヨガクラスのシルクもオレンジ色によく当たる。
そのヨガ教室は、天井から色とりどりのシルクがぶら下がっているのだけれども、昨日も、定員メンバーの残った最後の一つの場所についたのに、上を見上げるとオレンジ色のシルクだった。
出来過ぎ。笑
やっぱりオレンジなのだなぁと思った。
オレンジは、依存、共依存、相互依存がテーマだそうだ。
(共依存と相互依存の違いがよく分からないけれど)
さっき書いた「これでいいのだ」にも繋がるけれど、自分が何に依存しているのか、オレンジと縁のある今は、それが自分の中のテーマになっているように思う。
人は様々なものに依存して生きている。
それは、何も人や物といった目に見えるものじゃなく、
◯◯じゃないと生きて行けない。
◯◯じゃないとダメだ。
◯◯でないといけない!
といった、その思考がまさにその依存で、私たちはモノより以前に、自分の思考に依存して生きている。
そして、その思考自体が依存なのだと自覚出来る人はとても少ない。
どんなに自分の為にならない、自分を苦しめるだけの思考でも、自分のいつもの思考が安心なのだ。
世の中の中毒、アルコール依存やギャンブル依存などの依存性と言われるものは、私たちに依存というものをとても分かりやすく示してくれているものだ。
だから、人はその思考(安心)から出ようとしない。
だから、目の前に違う思考が示されると(分かりやすく言えば自分と違う価値観)、それを認めない、受け入れられない、拒否する、無視する、非難する、排除する。
なぜなら、それらはいつも(安心)と違うものだから。
なぜなら、それらはいつもじゃない、安心を脅かすものだから。
そして、それらはあくまで「思考」、いわゆる価値観というものであって、私たちが身体で感じているフィーリング(感情)とは別物であるというところがミソ。
その思考と感情のズレが、様々な問題として、私たちの目の前に現れる。
そして、私も含めてほとんど世界中全ての人が依存する究極のものに「お金」がある。
「お金がないと生きていけない」
この思考。
これに尽きる。
この世界中のほとんど全ての人たちが、その思考に支配され依存して生きている。
アルコール依存やギャンブル依存と同じ、お金依存。
お金依存症。
アルコール依存やギャンブル依存の人たちが、それがないと生きて行けないと思っているように。
依存症の人たちが、アルコールやギャンブルのことを四六時中考えているように、私たちも四六時中お金のことを考えている。
けれども、実際は、アルコールやギャンブルがなくなってもその人たちは生きていける。
依存症でない人にはそれが当たり前のように分かるけれども、依存症になっている人たちには分からない。
それがないと死んでしまうくらいに思っている。
アルコール依存やギャンブル依存が病気と言うなら、私たちは皆お金という思考に病んでいると言える。
そういう意味では、オレンジは全世界共通の、この世界全体のテーマの色でもあると言えるよね。
オーラソーマのボトルの中で一番よく出ている、使われているのがB26のショックボトルだと聞いたことがある。
それを聞いた時は、何だか意外だなぁと思っていたけれども、今回自分が導いた答えに納得いくものとなった。