ひとり言他人は自分の学びの為にいる。自分も他人の学びの為にいる。あらゆることには全て学びとしての意味があって。だから、自分の存在も、他人の存在も。それぞれにちゃんと意味がある。あらゆることには、善い悪いの区別は無くて、全てが学び。失敗や罪悪感、忘れてしまいたいこと。傷付けたこと、傷付けられたこと。後悔してること。馬鹿だった自分、愚かな自分がしたことも。それら全てに意味があって、それは他人の学びの為と自分の学びの為にしたこと。そうさせられている。私たちは神に使われている。これって、この前のひとり言の答えっぽいな。