そもそもアレルギー体質だったんでしょうが

猫のいる友達ちんちいくと

サラサラの鼻水が止めどなく流れて

でもその当時あまり

「アレルギー性鼻炎」とゆう言葉もなく

そして結婚して別居の予定が

なんのこたあない同居だ

猫が居て

ハネムーンベビーの私は喘息発作であえなくダウン

すると

嫁が入院してたら誰が家事やるんだい!と

ジジイ、ババア、嫁に行った義理姉までも参戦


結局退院できぬまま

出産

産まれた連絡が病院から行くと

赤ちゃんの顔だけ見て

全員帰るとゆう


まてどくらせどだれも労いにこなかった


しかも田舎の病院

長く居過ぎて部屋を追い出され


なんと畳の面会室によくある

ジャバラついたて的な物を

入り口に置かれて


雪が積もった退院の日

迎えにきたのは

見知らぬ遠縁のおばさん


それからも地獄は続き


流石の猫は


猫の方が先にうちにいたんだよ!


と言いながらとりあえず捨ててもらった


そこから喘息発作地獄は続き


金をよこさないのに

食事作れ

当時足の悪いおおおじい、おおおばあもいて

どうやって暮らしてたのかも忘れた


4年後、今の愛知に仕事で移る事になり

やっと逃げ出せた。


それでも一年で仕事は終わり

帰るぞと言われたが

もう帰らないと言って終わった。


父と弟がトラックで嫁入り道具を

引き上げに行ってくれた。


母には結婚する前から大反対され

それ見たことか、とグダグダ言われ、

いつでもいいから戻ってこいと言われていたけど

そんな母の元へも帰りたくなかった


喘息はとゆうと

一生の付き合いになった

何に3.4回入退院を繰り返してた


再婚相手は

喘息の理解がなく

会社のバス旅行に無理やり連れて行かれ

案の定大発作を起こしたが、

見苦しい!お騒がせするな!とゆう理由で救急車を呼んでもらえず

手持ちの吸入を制限なく使い

帰り道病院へ行った頃には酸素が低下

歩けなくなっており、即入院、絶対安静に

それても再婚相手は

帰り着いてからで良かったと言った

死にかけてるのに



仕事の時は

「この咳は喘息です」と書いたバッジを特別に

許可を貰ってつけているから良いんだけど


今日病院て

少しコンコン、としただけで

隣の女の人が

1番遠い椅子に避けて行った


まあ、そうだよね、

そうゆう時代だよね


マスクに、

私は喘息です!

と書くか!