母は車の運転ができない。

父は今まで辛うじて車に自ら乗って隣町の病院へ通っていたが今は到底無理だ。

かと言ってバス停までも歩くことも出来なくなった。

頼みの綱は母の姉(90歳になる)
の所へ週1回様子を見に来る姪夫婦(60歳)だった。

離れて暮らしているため今まででも90歳で一人暮らしの姉の面倒をみてきていた母、

車で姉が病院に連れていってもらう時、一緒に乗せてってくれないか、
ついでに大型スーパーへ寄ってくれないか、

と頼んだら車の中で口を聞かなくなったとゆう、

その後、2世帯住宅の上に住んでいる私の弟の所へ
『自分ちのことは自分達で面倒見ろ』
と電話があったとゆうのだ。

弟の嫁は変わった人で誰とも仲良くしない人だったために 自分も両親の家によりつかなくなっていたくらいだ。

もちろん両親に文句は言っても
『私が病院へ行きましょうか』なんてこと 死んでも言わないだろう。

今まででも孫を預けたい時だけ頼んで 普段は同じ家なのに孫に
『下の家に行くな』とゆうような人だ。

だから両親も嫁の世話にはなりたくないのに
そんな電話を 小さい時から可愛がって来た姪に言われ ショックから立ち直れないでいた。

母は
『こないだおばさん(姉)が倒れた時だって救急車を呼んで助けてあげたのは私
看病もした。
おばさんが死んでも手伝いには行かん。
最近こんな田舎にも祭事場が出来たからなんにも必要ない、焼香にだけは行く』

と涙ぐむ

戦後の食料のない時代から寄り添って生きて来た四姉妹、


いつもどんな時も1番の親戚だった。

いい時も悪い時もいつもおばさんとは一緒だったのに

おばさんは孤独死するかもしれない

平日もう誰も様子を見に行かなくなったから

いや、行けなくなったから

母には散々可愛がってあげていた姪からの冷たい仕打ちがどうにも腑に落ちない
でも現実は裏切られた気持ちでいっぱいなのだと思う。

でも自分達にはわかっていた。

夏祭りで顔を合わせた時、必ずこちらから挨拶しても毎度シカトされていた。

その姪夫婦の職業は教師 である。

超有名進学校だから名前が出せない とゆう程の所で教師をしていた。

こんな人間が子供に勉強だけ出来ればいい とゆう授業をしているんだな と思うと悲しい以外の何物でもない。