あんじゅの”シンプルライフ” ~理想の現実をしっかり創りませんか?~

あんじゅの”シンプルライフ” ~理想の現実をしっかり創りませんか?~

現実を創っている要素を違った視点からお届けします。あなたを取り巻く世界のことが少しだけわかりやすくなるかもしれません。

Vol.709『意識を高めるのにおすすめの「アナスタシア」①』

 

今、ご縁をいただいて、ロシアの量子力学者が書いた、『アナスタシア・響き渡る杉』シリーズを読んでいます。

この本は全世界で1100万部を突破したすごい本です。

なんでこんなにすごいのか?

そりゃ、多少揶揄もあると思いますが、真実が書いてあるからです。

現在、8巻まででていて(8-1、8-2があるので、9巻で最終巻のようです)、もうすぐ9巻目がでる予定です。


この本を読んでびっくりするのが、文字を読んでいくだけで、自然に視座が高くなること。

また、意識も広がる感覚、真実が細胞レベルで入ってくる感じがすごいと思いました。

それゆえ、すっと読むというより、読んでは休む、読んでは休む、になってしまって、なかなか進まないのが悩みです。

それを知りあいの脳幹活性の先生に話したら、「脳の情報処理に時間がかかるんだろうね」と言われました。

なるほど~。

そういえば、読みたいのに時間がかかる本ほど、「おお! 真理が書いてある」と感じています。

優しく書いてあるかどうかにもよると思いますが、「どの意識で読むのか?」というのかな。

とても意識が高いものは5行くらい読んで、その日は精一杯というのもあります。

でも、読んだ後、意識を持つ視点が変わってくるので、とても面白いです。

なかなか読み進められないため、今、2巻の途中ですが、読み進めていくと、日常の見方が変わってくるのを感じます。

すごくお勧めです。

今回、この「アナスタシア」の本の翻訳者さんと、日本にスピリチュアル本を持ち込んだ先駆者、同じく翻訳者さんの山川こうやさん、山川あきこさんのコラボ講座のサポートをさせていただくことになりました。

この三方、明らかに「おろしてくる系(何の話?)」。

翻訳時の秘話(興味津々)や、今、この瞬間に必要なあり方など、いろいろ聞かせていただく予定です。

ぜひ、ご参加いただけたらと思います。

日常の視点が変わると、それだけで人生の角度が変わります(^^)。

その場にいるだけで、何かが起こりそうな、そんな場になると思っています。

日時は10月12日土曜日13時から16時30分まで。

場所は神保町です。

万が一、当日参加できなくても
①当日、ZOOMで参加、
②後日、動画配信

もあります。

興味あるけど、「その日、予定があるんだよね」「東京にいないんだよね」と思った人も、ぜひ、ZOOM,動画で三人に会いにきてください(^^)。

絶対、おすすめです。


お申込みURLはこちら。
↓↓

https://www.iam-assoc.jp/honbunews/6442/


こちらを見て、申し込んでくださった方には、「ヴァーニアブログをみて申し込みました」とご連絡ください。

現在悩みがある方には、ワンポイントアドバイスを差し上げます。

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.708『自分を観察できる人が現実創造が得意⑫』

 

前回は瞬間的に始まる憶測ストーリーの話をしました。

私の話を例にあげてみましたが、どうでしょう? 


ご自身にも心あたりはあったでしょうか?

 

瞬間的な過剰反応。

これがない人はいないと思います。

これがあるからこそ、私たちは無難に毎日を過ごせているからです。

あの角は人が突進してくるから、少し大回りをしよう。

あのエレベーターは少し反応が悪いから、となりの機械にしよう。


あの会社に電話するのは午後にしよう。

そうした判断は過去の経験からくる賜物です。

経験から学ばなければ、時間の無駄にもなりますし、スムーズに反応できないですよね。

そして、その判断は年齢を重ねれば重ねるほど、強固になっていきます。

これは、つい先日、お会いしたTさんのお話。

Tさんは努力の方でした。

今までされてきた様々な努力の話を伺いました。

 

「努力は人を裏切らない」「だから、努力はしなければいけない」と言います。

なるほどです。

私もね、やりたいこと、達成したいことがあるなら、努力はしたほうがいいと思っています。


「何かに力を集中する」という意味で、した方が結果を得やすいのは確かです。

ただ、Tさんは、努力が好きなので、努力ができない人、努力をしているように見えない人、努力をしようとしない人に対して、強い否定感を持っていました。

その反射的な対応が本当に厳しいのです。

 

よくよく話を伺っていくと、それは、向上心を持っていないように見えたお父様に対する批判の気持ちからきているものでした。

ご自身の中にある「努力の期待値」のメーターに触れない人は、一瞬にして、父親に対する態度と同じなります。

仕事関連の方には、「必死な努力」「あからさまな意欲」が見られないと、とたんに攻撃的になります。

これは過剰な反応です。

必死にみえなくても、クオリティの高い仕事をしっかりしてくれる人もいれば、「自分、できます」という姿勢がなくても、良いチームワークを発揮してくださる方もいますよね。

 

なのに、最初に「努力」の姿勢が見えないと、自動的にイライラしてしまうのです。

Tさんご自身は「努力が大事」だと思っていますから、その姿勢が見えない相手に対して、ジャッジをすることは悪いことだと思っていません。

むしろ、正当化しています。

でも、それは真実ではない。

いい仕事をするかどうかは、見せ方ではわかりませんからね。

でも、つい、そうしてしまう。

 

それをやめようとするには、お父様に対する「努力していなかったから、家族が苦労した」という恨みにもなっている捉え方をいったん、手放さないといけません。

お父様に対する思いと、目の前の人の状態は直接、Tさんには関係ありませんよね。

でも、似たようなこと、多くの方が多くの場面で、それこそ数えきれないほどの「満たされなかった思い」「警戒しないといけないと判断したこと」の反射的な反応を持っているんですね。

 

皆さん、ご自身の思い込みを「当たり前」「自分は正しい」と思って、話されています。

でも、そのほとんどは真実ではない。

だから、「まずは過剰なジャッジをやめよう」という話をTさんにお伝えしたのですが、「ジャッジじゃない。それが事実だ。あの人達は迷惑だ」という捉え方を手放すのはなかなか難しいようでした。

 

本人にはそれが真実ですものね。
 

でも、それは真実ではなく、ジャッジなのだということを、どこかで一回、冷静になってもらえたらいいなあ、と思います。

あなたの中にも「それは絶対に真実」と思っていることがあるはずです。

それはなんですか?

書き出してみるといいですよ。

タイトルは「私にとっての真実」です。

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.707『自分を観察できる人が現実創造が得意⑪』

 

私は自分自身の内側観察をだいぶやってきましたので、まあ、やっていない人よりはかなり内側がシンプルです。

内側がシンプルというのはどういうことかというと、憶測で始まる勝手な物語が走り出さないということです。

目の前に起こっていることを素直に受け止められる、喜びをもって受け止められる、なんなら、奇跡があることも感じて、見えてくる。

そうすると、本当に奇跡的な良いことが連続してつづいていく。

そんな感じです。

いいことだらけでしょ?

これは憶測モードの眼鏡をかけているとまったく見えませんから、それだけでも憶測モードでいるデメリットかもしれません。

子どもについても大分修行しました。

親になったばかりの頃は「あなたのためだから」という自己愛の感覚も体験しました。

これも憶測モードです。

「親になったからにはこれをさせたい」「良い親ならきっとこれを与えた方がいい」そんな自己愛の憶測をたくさん与えていたと思います。

それをやめた結果、どうなったと思います?

子どもの自主性が育ちました。

子どもたちの現実がミラクルになっていくのをみれました。

ああ、なんて憶測って怖いんでしょう、と思いました。

こんな私にも一つだけおっかないことがあります。

私のパートナーはものすごい倹約家で、なんなら「倹約家特番」でも出れそうなんじゃないかと思います(笑)。

 

まあ、そう思って、倹約家特集をみると、「ここまではさすがに」と思う方々がでてくるので、特集を組んでもらえるほどではないにせよ、私自身が「ざる」認定、いや、「枠」認定なので、私にとっては、パートナーの倹約精神はもう未知との遭遇のレベルなのです。

一緒に暮らして25年間。

最初はパートナーの言い分を素直に聞いていましたし、自分の「枠」さ加減を反省したりしていたので、「あ、これはあかんのかい」「え、そうなるん?」という経験を生活の中でたくさんしてきました。

でも、ある日、ぷつんと糸がきれた(笑)。

やってられな~い!

で、それ以降は、自分なりの感覚でやってきたのですが、最初の数年で言われたことはすっかり意識に入ってるんですね。

別にいじめられたわけじゃないですが、「そうじゃない」と言われた瞬間の困惑と悲しみ。

今ではもう全く言われなくても、ずっと胸の内にあります。

 

認識の違いの話なので、話し合って、謝ってもらうことでもなく、でも、「できてない」「そうじゃない」と言われると、ちょっとずつ傷つく。

それが積み重なると、「また言われるかも」という「それを避けたい思い」が湧いてきます。

長い共同生活の中で、「ああ、こんなに言われたくないんだなあ」と最近、気づきました。

ものすごい問題ではないけれど、確実に「ネガティブな思い」。


これって、「そうした方がいい」という事実と、「そこまでしなくても」という感情のせめぎ合いです。

大したことではないけど、それが重なると、まあまあのストレスになります。


だから、「あ、またこうしてる」「こうしちゃって」なんていう声が遠くから聞こえた時に瞬時に走る憶測オブラート。

『あ~、細かすぎてうるさい!私はもっと自由にやりたい!』というのが大切にしたい自分の気持ち。

そして、その自分を守るために、戦いが瞬時に始まります。

「私はそれでいいと思ってるの~!!」って無茶苦茶自己防除ですよね。

「あなたが細かすぎる!!」この責めも自己防御。

今では些細な事すぎて、もう言い返すこともしませんが、そのくせ、「ま~た言ってる!」と自分の中にしっかり吹き荒れるストーリーです。

そういうのを手放して、イラっとしたりせずに、穏やかに「じゃあ、後はよろしく~!」にしたいもの。

生活の中、職場の中にこうしたこと、たくさんありますよね。

こんな小さなことでも、憶測オブラートを外していくと、自分がどんどんシンプルになっていきますよ。

私も今回、これに取り組みます。

あなたは何に取り組みますか?


瞬間的な過剰反応。

どんどん手放して、自分の内側をシンプルにしていきませんか?

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.706『自分を観察できる人が現実創造が得意⑩』

 

さてさて。

もう、真実にしかみえないものを真実じゃないと思おうとするのって、本当に難しいですよね。

これが例えば、戦地にいたとしたら。

それを本当は怖くない、なんて思うことはできませんね。

究極に言ってしまえば、本当に恐れがなくなった時、その人は周囲に影響を受けなくなるのですが、それはなかなか仙人の技(笑)。

 

恐れるに足りる景色が目に入れば、自動的に肉体が恐れを感じますから(当然の仕組みです)、目の前の憶測モードを取り除くのは、匠ちゃんでないと難しいでしょう。

でも、家族の関係なら?

職場の関係なら?

命、とられるところまでいかないなら、もう少し簡単になるかなと思います。

みんなが恐れているのは過去に体験した嫌な気持ちを繰り返したくないという恐怖です。

同じことを繰り返さないって大切です。

毎回毎回、家の前に開いている同じ穴に落ちていたら、そのうち、骨折したりしますよね。

同じ不快なことを繰り返さない。

本当に大切なことかもしれません。

ただし、ずっと避けていくよりも、その経験をなくすほうが私はいいんじゃないかと思います。

家の前の穴なら大ジャンプしたり、回り道したりして、痛い目にあわないようにするのもよし。

穴をふさいでしまう。

なんなら、コンクリートで埋めてしまう。

大きくいったら、その家から引っ越すだっていい案です。

「不快な目に合わないように注意勧告する」-この機能に対抗して、「もう二度と繰り返さない」「もっとましな現実に変えていく」という意図建てをすることもできることを覚えておいてください。

もっとましな現実って?

あなたの場合は、穴を迂回することですか?

それとも、穴を埋めてしまうこと?

または、新しい家に引っ越してしまうこと?

どんな現実がましですか?

まずは明確なよりよい状況を考えてみること。

そして、感じてみること。

これ、簡単じゃないんですよ。

 

一瞬で動き出す憶測モードに対する私たちの顕在意識のスピードはとっても遅いです。

オリンピック選手と幼稚園児のリレーくらいの差があるかもしれません。

 

でも、その走り出す選手を捕まえて、ちょっとまって!という癖をつける。

このパターンを変えていくと決める。

意図する。

ここです(^^)。

 

決められそうですか?
 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.705『自分を観察できる人が現実創造が得意⑨』

 

憶測オブラートに包まれてしまうと、多くの人はその思い込みが真実に見えてしまいます。

真実にしかみえませんね。

それを「真実ではないかも?」と疑うことって、案外難しいものです。

例えば、浅い人間関係なら、「そんなこともないかもしれない」とオブラート解除ができるかもしれません。

 

あの人は意地悪でいったんじゃないかもしれない。

たまたま機嫌が悪かっただけかもしれない。

そんな風に思い直して、実際、きちんと話して見ればいい人だったりすることもありますよね。

私も昔、仕事先の人がいつもそっけなく、質問にもあまり応えてくれないので、「いじわるだな~」と思っていましたが、会ってみないとわからないと思い、挨拶にいきました。

 

そうしたら信じられないくらい人見知りだったのだとわかりました。

その後はとても良い人間関係を築けました。

もちろん最初から、会ったことのない人でも、好意的に行動することのほうが良いにきまっています。

ただ、こんな風に人間関係が浅ければ可能性を探れますし、数年間分くらいの憶測オブラートなら破きやすいですよね。

ただ、家族やパートナーや長い付き合いだとそうはいきません。

20年間、30年間、40年間、ずっとずっとそう思ってきたもの。

あの人は自分勝手だ。
あの人は人の話をきかない。
あの人は私を大切にしてくれない。

そんな思いを「実は思い込みだったりして」なんて思うものなら、胸に痛みが走ります。

「あんなに辛い経験、悲しい経験がすべて自分の思い込みだったとしたら?」

ずっと外側のせいにしていたことを、「自分のせいだったこと」になることを多くの人は恐れます。

でもさ、もしさ。

「自分のせいだったんか~」となって、「それならかえられるよ!」となったら、どっちがいいんでしょうね?

自分の責任だと認識する痛みを受け止め、その後の解放を体験するか。

ずっと外側のせいにして、自身の責任とする痛みを避け、同じ悲しみ、苦しみを体験していくのか。

もしかしたら、悩みどころですか?

同じような経験を何度も繰り返して、思い込みを強化して、もはや憶測とは思えなくなるのが深い人間関係ですね。

この人は私を大切にしてくれる。
この人は私を信じてくれる。
という思込みなら、万々歳。

 

ただ、近しい人間関係の場合は甘えもでてきてしまい、「あなたにそうしてほしい」というリクエストが湧いてきます。

これが相互関係にあればいいのですが、特に家族になると、一方的になってしまう。

いつも自分に負担をかける、自分を思いのままに動かそうとする、従わないと怒りだす、など、ヘビーな思い込みもでてきますね。

そういう重い憶測モードが入ると、電話が入っただけで、「ああ、また面倒だ(実際に面倒だ!と思うでしょう)」というストーリーが始まってしまいます。

ある友人は電話をかけてくる家族それぞれにテーマ曲をつけていて、親御さんからの電話を火曜サスペンス劇場の音楽にしていた人もいます(笑)。

他人の私も「おわっ! お母さんじゃない?」とちょっとドキドキしてしまいます。

それって、もう最初から「幸せモード」の結果にはならないですよね。

習慣化された思い込みはなかなか打ち破るのは難しいものです。

だから、最初は距離がそれほど近しくない人との間にでてくる思い込み=憶測をさがしてみましょう。

例えば、私は幼少期に、お友達と遊んでいたら、祖母の家の近所の酔っ払いに追いかけられたことがありました。

 

幸い、祖母の家に逃げ込めたので、何もありませんでしたが、幼心にとても怖かったのでしょう。

40代過ぎまで、酔っ払いの男性を無意識に強く否定していました。

ひどい酔っ払いは私の周りにたくさんいるわけではないので、何回もあることではありませんが、外に出た時に、そうした姿を見ると過剰に、怖くて怖くて。

そんな毎日あることではないので、浄化もずいぶん後回しにしてきましたが、「この怖さはもう必要ないな」と思って浄化したら、その後、なんともなくなってしまいました。

どんな小さな怯えでも、日常の中にないほうがいいですよね。

そして、それが憶測であるのなら。

だから、まず、小さな憶測をどんどん手放していきましょ。

 

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.704『自分を観察できる人が現実創造が得意⑧』

 

目の前に起きている現実をそのまま見れるようになると、どうなるのでしょう?

推測で突き進めていた現実―今まで夢を見るような感覚で想像し、創造していたイリュージョンな現実を自分の理想に近づけていくことができるようになります。

例えば、こう。

あの人はきっとこうだ、と決めつけているから、その流れになる。

この人もきっとそうだ、と予測しているから、そうなっていく。

 

たぶん、またそうなる。

私たちは思っている以上に何百、何千もの思い込みを持っているのです。

「そんなこと思ってない。〇〇にならないようにと願ってる」「そうじゃないと信じたいと思っている」

わかります。わかります。

ただ、「そうならないように願ってる」「そうじゃないと信じてる」「次はそうならないと決めた」と思っているなら“人生の前提にそうなる選択肢”がまだまだしっかりあるということです。

 

その状態では、決して、その逆のことは起こせないのです。

ちょっとずつ変えていける人もいます。それはその人が”少しずつ変えていく”と真摯に真剣に決め、幻想に惑わされないで実行してきたからです。

 

だからこそ、目の前の現実を冷静に見て、「ああ、自分がそう思っているから、そうなっているのだ」と理解することが必要です。

それを認めると、やっと憶測から創る現実を変えられるようになります。

というより、「なんでも外のせい」から、「自分の内側次第」ということがわかってきたなら、そこでやっと”現実化の実権を握ることができる”という言い方もできます。

 

そう考えると、自分の人生の実験、握りたくないですか?


そう思った人は、まず、最初のステップ

「そうなると思っているからそうなるんだ」という真実を受け止めることから始まります。

「そんなことはない。周りのせい」

と1ミリでも感じたなら、もう少し外の世界のせいにしてもいいでしょう。

でも、その場合は自分が自在に創造する現実が少し遠ざかります。

すべて自分の選択。好きにしていいんですよ。

 

なんて、偉そうなことを言っていますが、どんな人にも「これは変えられない」と思うことはありますから、安心して。

私にも「難しいなあ」と思うものはあります。

 

そういうものはすぐに幻想に惑わされて、「やっぱりそうだよね!」と思ってしまうものです。

でも、これは自分を傷つけないための予測装置です。

予測装置が働いていると、傷つかずにすみますよね。

でも、その予測装置が事実を憶測オブラートに包んでしまうのです。

憶測オブラートに包まれたら、”その憶測に飲み込まれない”を実行できるよう明日から頑張ってみてください。

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.703『自分を観察できる人が現実創造が得意⑦』

 

インドの教えでは、「今、起こっていることを観察しなさい」とよく言われます。

私自身もたくさんの方のエネルギーの状態をみさせていただいてきたので、多くの人が自分のストーリーの中に没投入しているように感じています。

どういうことかというと、目の前に起こっている事実と、その人が見て「判断」しているものは乖離があることがよくあるということです。

私は仕事柄、人の悩みを聞くことが多いのですが、例えば、こんなことがありました。

以前、相談をよく受けていた友人Aさんの話です。

Aさんは「親しい人たちから見放された」と悩んでいました。

確かにAさんが成長してきた環境は厳しいもので、関わってきた人たちを恨むのもある意味、避けられないかな、と感じました。

ただ、話を聞いている時、違和感がありました。

途中から事実ではなく、感情や上乗せした想像が入ってくるのです。


事実の話と想像の話では、話している時の状態が変わるのでわかります。

見ているものを話すのと、イメージを話すのではまるっきりエネルギーが違うのです。

それで、一部はAさんの内側にあるストーリーだということがわかりました。

「それは実際にあったこと? それともそう感じたこと?」

様々な出来事に関して、何度も繰り返して聞きましたが、「たぶん、そうだった」と繰り返すばかり。

つまり、「観た出来事ではないけれど、きっとそうだった。だから、自分はかわいそう」と思っているということです。

 

なので、これは「親しい人に思った通りの反応をしてもらえない」という思い込みからきたAさんのストーリーなんだとわかりました。

さらに、話を聞いている私のことを「心から信頼している」と言いました。

その時、「あ、私も彼女の特別親しい人になったんだな」とわかったので、私に対するストーリーが始まらないように、覚悟を決めました。

愛情と信頼をもって、「人への不満を感じるのを一旦、止めた方がいい」とアドバイスをしたのです。

Aさんの人生が進むようにと真剣に伝えました。

すると、それだけなのに、「やっぱり、私を非難するんだね!」「あなたも他の人と同じだ」と怒り出して、その後、長い長い怒りのメールが届いたのです。

私もAさんを見捨てたうちの一人になってしまいました。

彼女の心は「自分は理解されない」と嘆き、頭は「相手を非難して、罪悪感を持たせよう」という考えで一杯でした。

悲しみがたくさん伝わってきました。

これは極端な一例ですが、どう感じました?

これは人の内側にあるストーリーが勝手に対応している典型的な例なんです。

「その人がやりすぎなだけじゃないの?」と思った人もいるかもしれません。

でも、大小あれど、他の人の現実もまったくおんなじように進んでいるんだなあと私は思います。

例えば、嫌な上司ばかりにつくのも、先にその人が「そうだろう」と予想しているから。

「最初は優しい人だったのに、途中から変わった」というのもその人のストーリー通り。

「浮気ばかりされてしまう」というのもストーリー。

それは、「予測したからそうなった」という言い方もできますが、
「予測」のエネルギーを抱えていると、「予測」に見合った人が現れるのが現実だからです。

ただね、誓っていいますが、その現実を変えることはできるんです。

私の場合もAさんがそれほどまで激怒しなければ、きちんと対応したいと思っていました。

でも、Aさんは激情に飲まれてしまい、「また人に見放された劇場」を自分で始めてしまったのです。

激情が劇場を始めてしまうんですよ。


これ、洒落じゃないですよ。

何か胸に痛いことが起こった時、不安なことが起こった時、怖いことが起こった時、私たちの内側で自動的にストーリーが始まります。

でも、その時、そのストーリーを「観る」ことがストーリーを変えるチャンスなんです。

インドの教えと同じです。

「今、起こっている出来事を観察する」

つい、先日、出会ったCさんも、ストーリーの中にいました。

いつも人を仮定の話で進めているのです。

「あの人はきっとそうだから、こう対応する」
「その人はこういう傾向があるから、こっちはこうする」

それは出会ったことのない人達とネットでゲームをしている感覚です。

本当のつながりをみていないのです。

みんな、目の前にある本当の出来事をみていなさすぎな気がします。

どうでしょう?

本当に「目の前で起こっていることを観察する」とどんなことが起こるのか。

ぜひ、最初はそこから始めてみてくださいね。

やってみないとこればかりはわかりません。

観た人から人生が変わります。

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

あんじゅ 

または

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.702『自分を観察できる人が現実創造が得意⑥』

 

人生を自由に創造していく意図の話の続きです(^^)。

多くの方が無意識に意図してしまっているのは、

〇人生は努力次第
〇頑張った末に幸せがある

かもしれません。


そういう方々はとてもまじめな努力家です。

どちらにしても努力したら結果を得られるというのはいいですよね。

もちろん、その通りになります。


一部、結果を得られる、一部は無理、そんな人もいます。

もちろん、その通りになります。

中には、「努力は実らない」と感じている方も多いのですから、努力すれば結果が得られるのなら万々歳です。

ただ、知っておきたいのは、努力も頑張りも人それぞれ、ハードルが違うことです。

「優秀になりたい」と思った人ほど、ハードルが高くなります。

人によっては、「それ、何人の人が到達できるの?」というような高みを見上げて、自分の力のなさを嘆いている人もいます。

ずっとずっと努力し続けるんですよね。


そんな人生は疲れてしまいますし、決して満足できないので、きつい人生になると思います。


これは何も「高みをみないほうがいい」と言っているんじゃありません。

高みをみるのはいいことです。

ただ、その努力している最中の自分にもっと「誇り」を持ってほしいのです。

「ああ、まだまだだ」と思うのではなく、「よくここまでやったな」と思えるようになることが大事です。

これ、「不足感」から現実を創るのか、「ある」から現実を創るのか、と同じ話です。

そのためには自分の内面がどれだけ努力しているのかをみる癖をつけたですね。

「結構頑張ってるのに、結果がでない」と自分を責めていること、多かれ少なかれ誰にでもありますよね。

ただその時、責めないようにしたいのです。

責めると、自分自身のエネルギーが必要以上に落ちてしまいます。

なんにもよいことがないんですよ。

私たちに必要なのは「自分を大切に思う気持ち」と「成長したい」という意欲。

ただ、その両方は実は相反している状態の時も多いのです。

「少しでも前に進もうとする努力の気持ち」と、「結果はでてないけど、自分はやった」

これが同時に自分の内側に存在する状態を可能にしましょう。


自分が前を向いていることを自分で称賛することを忘れないようにしたいですね。

だから、「こんなことしかできていない」と思うのは禁句です。

「自分のことをどうとらえているか?」で現実は変わるのですから。

そうだとしたら、「どっちがいいか?」ですよね。

その自分の内側に起こっている状態を観察するのも、とても大事なことです。

それが最初の第一歩です。

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

あんじゅ 

または

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.701『自分を観察できる人が現実創造が得意⑤』

 

無意識に始めてしまう日常の行動。

たくさんありますよね。

 

電車に乗った瞬間、無意識に席を探してしまったり、駅内を歩いている時に、無意識に人の流れが少ない位置を選んでいたり。
 

何かの列に並ぶ時にワザワザ一番長い列に並んだりしないように、それは自然と起こっていきます。

そんな五万とある、それぞれの人の中にあるストーリー。

無自覚に始まるストーリー。


通常ならどうにもならないものと思われがちですが、でも、それがわかるようになると、人生をもっと意図的に創造していくことができるのです。

前回も書きましたが、そのためには、自分の内側の状態を観察することが必要です。

楽しい時、すごく調子のよい時はなかなか冷静に自分の状態を意識するのは難しいと思います。

それにいい時はいいのです。

 

そのままでいいですよね。

でも、例えば、ふっとむなしい時、すごく不快な時、焦る時。

そんな時は改善余地があるということです。

よくあるのは、つい、物知りのふりをしてしまうとか、普段なら対応できるのに、焦りが始まってとんちんかんなことをしてしまうとか、「私っていつもこうなんだよね~」っていう
やつ、ありますよね?

私はとにかく交通機関が苦手で、なんとなくで動いてしまった結果、まったく違う場所にいったりすることが過去多かったのです。

人に話せば「ネタになっていい」とか、「結果、大丈夫ならいい」とか、色々言われますが、本当に困っていて、「これは何が自分の中に起こっているんだろう?」と向き合った時、自分の中に「きっちり決めつけることは面白くない」「なるようになる」と思っていることに気づきました。

「なるようになる」は悪くないし、旅も仕事もきっちり決めつけないほうがいいのは間違いないですが、交通機関に関しては「できるだけ予想通りのほうがいい」ですよね。

汗をかく体験を重ねていたので、「何か起こって、わたわたしながらも目的地に着く」という感覚があったので、余計にそうなっていることに気づきました。

なので、「目的地にスムーズにつく」という意図を建てると、だいぶ変化しましたね。

変えたいのは、変えていきたい現実の状態。

駐車場が必ず空いているもそうだし、おいしいお店に当たるもそう。

 

何を決めているかが大事なので、なんとなくで起こっている現象はきっちり見ていきましょ。

 

どうかな。

思い当たることはありますか?

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

あんじゅ 

または

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)

Vol.700『自分を観察できる人が現実創造が得意④』

 

実は、今の現実を生きている人の意識の大半の前提はサバイバルに基づいています。

サバイバルというと過激に聞こえるかもしれません。

でも、考えてみて。

人よりよい地位を求めたり、人の上に立とうとしたり。

人に影響を与えようとしたり。

それって、命の危機がないというだけで、「人より優位を保って生きよう」ゲームをしているのと一緒です。

決して、与え合うという意識ではありません。(一部それができる人もいますが)

人より優位を保てると、良い場所に住めて、良い食べ物が得られ、良い気分になれるというゲーム。

これ、エネルギーを奪い合ってるんですね。

だから、サバイバルです。

与え合うのは「幸せゲーム」。

奪い合うのは「サバイバルゲーム」です。

生きるためには〇〇しないといけない。
幸せになるためには人より上に立たないといけないといけない。
裕福になるなら、人に影響を与えないといけない。
人に勝たないと生きていけない。
周りの意見にあわせないと生きていけない。
優秀でないと生きていけない。

これらの根底にあるのは、恐れの条件。

恐れを克服するために生きているなら、その生は基本、サバイバルゲームに参加しているのです。

とはいえ、これは思考が参加しているゲーム。

私たちの多くは大抵はこのゲームから参加しますが、最初は生まれてくる前の感覚が少し残っているので戸惑います。

「あれ、うれしくないことをやることが生きることなの?」と困惑することもあるでしょう。

そして、やがて、「この方がいい」「こうしないといけない」「この方が褒められる」という本当の自分は望んでいなくても、目の前にある生きる条件にあわせる選択をするようになる。

これがサバイバルのスタートです。

 

ただ、サバイバルゲームにも喜びがあります。

勝った時は喜びがあります。

どんどん勝っていくと、生きる条件が良くなっていくように錯覚します。

それが嬉しい。

でも、心が疲れていきます。

その結果、体調を崩す人もいます。

だって、本当の自分の思いは置いてけぼりだから。

そして、人の本当の喜びとは、人と分かり合い、分かち合い、思いあった時に感じるものなんです。

人に勝った時に感じる喜びは「優位に生きていける」という生存の喜び。

それだけで幸せになることは難しいことに、私たちはそろそろ本気で気づかないといけないタイミングにきています。

先日もある方が「とにかく働いて、人より良い生活がしたい」と言っていました。

40代の女性。

世間的に言えば勝ち組と言われる部類だそうで、そのためか、勝ち負けに非常にこだわっていました。

サバイバルゲームの最高潮です。

でも、同時に「疲れた」とも言っていました。

「もう勝ち負けにこだわらないで生きていきたい」ともはっきり言いました。

それは本当の心の声です。

でもね。

仕事の話とか生活の話になると、どうしてもマウント取りが始まる。

無意識に勝ち負けゲームが始まってしまいます。

「勝ち負けゲーム、最初にあなたが始めてますよ」とお伝えしましたが、それがわからないようなのです。

それは、電車に乗るときに、席を無意識に探してしまったり、駅内を歩いている時に、無意識に人の流れが少ない場所を選んだり、それと同じです。

もう自然なんですね。

それ、止めるの大変ですよね。

無意識に空いている席を探したり、無意識に歩きやすい場所を探すのって、メリットがあるからです。

誰も行列の後ろに並びたいとは思いません。

だから、これ、その人がだめなんじゃなくって、思考パターンなんですね。

勝ち負けを止めようと思っても、会話が始まると自動的に勝ち負けゲームがスタートしてしまう。

 

それをどんなに止めたい、と思っているのに、ね。

これを止めるには、現実をきちんとみないといけません。

内側にある自分のエネルギーの状態を観察することが必要になります。

 

続きは次回(^^)。

 

☆質問やテーマの希望、セッションのご希望はこちらまで☆

ange.consciousness@gmail.com

 

あんじゅ 

または

ヴァーニア (サンスクリット語で『神の贈り物』の意味。インドでいただいてきました。)