今で、やってきたことは


生きててもよいと認められる


それだけが目的だった。


生きてていいと

誰かに認めてもらうため。


結局、認めてもらいたい人には

1%も認めてもらえなかった。


そんな呪縛が治療で少しずつ

溶けてきたのかもしれないけど



昔、韓流ブームがすごかったとき

とくに気にもしていなかった。

私が生きていいと認められる

材料にはならなかったから。

反対にみっともないと

責められるようなものだったから。


うつ病になって、もがいてたとき

YouTubeをみて、うつ病のことを

話してる優しそうな人の動画がでてきた。


うつ病になったことを公表して

それをこんな動画で出してる。

気になって検索すると韓国のアーティスト。


こんな有名な人が公表してる。

公表するのが怖い私はとても驚いた。

それから気になって所属グループの

音楽をきくようになった。


徐々によくなってきて

一人で電車にのれるようになったころ

ファンミーティングがあるのを知った。


こんな私がいっていいのか

そんな気持ちがあったけど

頑張って、チケットをとって行ってみた。


電車に早めにのり、無事に駅に着いた。

会場に入るとき下を向いて入ったけど

帰りは顔があげられた。


なんか力がもらえた気がした。


認めてもらいたいことではなく

自分がやってみたいこと

50歳を過ぎてはじめて出来た気がした。


恥ずかしい、みっともない


そうやって言われるのがイヤで

やらなかったこと、たくさんあった。


でも、誰かに

責められるものではないんだ。


人生、そんなに長くないし

人様に迷惑をかけるようなことも

してないんだから

自分がやってみたいことを

やるのは、きっとよいこと。





心が落ち着かない


前ならガマンしてたけど


治療してから


助けてほしいと


思うようになった


でも口にだしていえない


私がおもうように


誰もたすけてはくれないことを


知ってるから


結局


ガマンできなくなってきたことで


余計つらくなってる


治療したのに


ひとりぼっちになる

夢をみて


またか


と思って

目が覚めた


相手のことを思って

やったことで

人が離れていく


どこにいって

最後はおなじ


そんな夢


ちょっとこころがいたい



最近、気がついたことがある


誰かと話しているとき

沈黙になるのが怖いということ

 

沈黙になると

べらべらしゃべって

間を持たせようとする


でも

それで

みんなから

うざがられてた


精神科で

カウンセリングとセラピーをうけて

いろいろき気がついたことがあるけど

この沈黙にも気がついた





小さいとき


父親が不倫をしたことで

母親がいつも不機嫌になった


父親がなだめているけど

なんで俺がなだめなきゃいけないんだ

と、いい放ち

冷戦状態になることが多かった


家庭に会話がなくなる


その時間と環境が

幼児の私には耐え難く

父親と母親に

何かしら、話しつづけていた


もちろん2人とも

私が話しても

言葉を返すわけではない


でも

ただ、ただ

仲良くしてほしくて

笑ってほしくて

話してほしくて

ずっと話しかけてた


それが

沈黙が怖くなった理由だと

最近気がついた


それで

大人になっても

ずっと沈黙が怖くて

ずっと話して

それが周りからうざがられることになった


そんなことをしていて

とても疲れていた

ずっとずっと疲れていた


人といることが苦痛になり

休みの日は1人でいることが多くなり

それを人生の2/3やっていたら

一緒に過ごすような友人はいなくなってた


SNSでは

同世代が子育てを終え

毎日が充実している

何人も一緒に写った写真

家族写真をあげている


1人でいるのは楽ではあるけど

なんでこんなに違ってしまったんだろう

と思うときがある


その理由が

家庭の沈黙にあったんだと

やっとわかった