50年近く
心は抑圧され
洗脳され
何のために生まれて
何のために生きているのか
わからなくなった。
それでも生きていた。
親の面倒をみる。
姉の面倒をみる。
墓を守る。
それが私のつとめなんだと
刷り込まれていた。
でも、生きるのに疲れていた。
厄年になると
この厄で早く消えないかな
そんなことを思っていた。
自分で消える勢いはなかった。
そこまでエネルギーがなかった。
厄年で脳卒中になった。
目を開けたとき
カーテンに囲まれたベッドが
どこかわからず
私はやっと消えたんだ
そう思った。
ふと目線をずらすと
ベッドの傍らに主人がいた。
それをみて涙が出た。
ごめんね、ごめんね
そう言葉にした。
呂律が回らない状態で。
生きていてごめんなさい
消えなくてごめんなさい
迷惑をかけてごめんなさい
どうして私は消えられなかったんだ
そうだ、私が救急車って叫んだんだ
生きようとした自分を責めた。
近隣トラブルに巻き込まれたとき
なんで私はこんな不幸なことが
積み重なるんだと
絶望状態になった。
真面目に生きてきて
努力をずっとしてきて
それなのに。
うつ病になって治療が進み
少しエネルギーがわいたときに
消えようとその方法を
調べだした。
もうこんな人生に疲れた。
今まで逃げてこなかったんだから
もう逃げてもいいよね。
でも出来なかった。
そんな自分を責めた。
今年になって
近くで消えた人のニュースがあった。
言葉にはださなかったけど
うらやましたかった。
私はそんな実行力もないのかと
情けなくなった。
それでも少しずつ回復をしているのか
生き続けている。
今日、こんなツイートが
流れてきた。
不幸に慣れたらダメだよ。「いつか幸せになりたい」じゃない。いま幸せじゃないとおかしいの。不幸が異常事態で、幸せが日常であるべきなの。幸せは全人類が受け取るべき当然の権利だ。不幸に慣れると感覚が麻痺してあたかも不幸が自然な状態だと錯覚してしまうので気を付けてね。どうか幸せになってね
— Testosterone (@badassceo) 2021年12月27日
本当は不幸が異常事態で幸せが日常
私は不幸が日常で幸せが異常事態
そんな人生だったんだと悟った。
幸せは全人類が受け取るべき
当然の権利
この言葉に今、心が動揺してる。
その権利をどうやって行使すれば
いいんだろう。
まだまだ
頑張らないといけないのかな。