「おせーよ!連絡寄越すったから、昼間は帰ってやったんだぞ!?」
開口一番のショータローの言葉にキョーコはウンザリと溜め息をついた。
わざわざ泊まっているホテルのロビーまで出向いてやったというのに……。
相変わらずの自己中心的な台詞。
「お坊ちゃんのアンタと違って、私はバイトしなきゃ生活していけないのよ」
てっきり昼間の女の所に泊まっているかと思えば、こんな高級ホテルに泊まっているなんて…どうせお小遣いもらっている身分のクセに。
「バイトだ~?はぁ~、そんなもん俺と結婚すればやる必要ねーだろ。」
「たとえ無一文になってもアンタと結婚しない道を選んだのよ」
冷たく言い放つと、今度はショータローが溜め息をつきだした。
「遊びだろ、あんなの。いつまでも拗ねてねーで、戻って来いよ、な?やっぱり俺にはキョーコが必要なんだって」
どこまでも勝手な言い分に、もう怒りを通り越して呆れてしまう。
コイツにとっては、私がただ悋気を起こして家出をしたに過ぎない認識なのだ。まだ、私の心がコイツにあると思い込んでいる。
だから、ちょっと謝れば…甘い言葉を言えば私がコロリと機嫌を治すと…
まあ、無理も無いか
あの騒動で私は嫌悪感が先立ってしまい、ほとんどコイツと話さず逃げるように家を飛び出してしまったし。
それに、甘い台詞なら敦賀さんのお陰ですっかり耐性が出来てしまったのよ。
あの人の甘さに比べたら、コイツなんて微糖にさえ及ばないわ。
「………今日来たのは、アンタに、ハッキリ別れを告げてケジメをつける為よ。」
「あ?」
「言ったでしょ。誤解でも正解でも、どちらでもいいって…もう、そういう問題じゃないのよ。」
自分を見る視線の冷たさに、やっと今までの自分に対するキョーコの態度と違う事に気付いたのか、ショータローが僅かにたじろいだのがわかった。
「なんだよ…違うって…」
「私がもう、アンタを愛していない。ううん、過去のあの想いが愛情だったのかも、もう自信がないのよ」
「……んだよ、それ…」
一瞬で冷めてしまったコイツへの想い。
強く嫌だと思った、敦賀さんへのあの時の激情。
根底にあるモノが同じモノだったとは…思えないけど。
それでも一時は人生を供にしようと思った相手には違いないし…
だから、これはケジメ。
「今後何が起ころうとも、アンタとやり直す気はないから。アンタも不破も、新しいお嫁さん候補を探して」
キッパリと言い放つと、流石のショータローも楽観的な意識に気付いたのか、みるみるうちに青ざめていった。
先程までの余裕が嘘の様に慌てだした。
「馬鹿いうなよ!今更他の女なんか探せるか!お前じゃなきゃダメなんだよ!」
「お祖父様が亡くなっている今、私と結婚しなくてもアンタが跡取りには変わりないわよ」
「そういう問題じゃねーよ!」
現実に失いそうになって初めて事の重大さに気付いたみたいに。
まるで子供のように駄々をこねるショータローに、コイツはこうなると面倒な事を思い出した。
…なんと言えば諦めてくれるのだろうか……と、困っていると
「彼女は俺と結婚するんだ。君の出る幕は無いよ」
聞き覚えのある。でも、ここで聞こえるハズの無い声に…キョーコは思考がストップした。
聴覚の不安を視覚が補う。目の前にいたのは、間違いようの無い……
「ツ………ツル…ガサン…」
思わずカタコトになるのは、目の前にいる男が、笑顔なのに黒いオーラをしょっているからで、目が人を殺せそうなぐらい冷たくて鋭いからで……正直逃げ出したくなったのは…生存の本能だと思う。
「迎えに来たよ、キョーコ。さ、一緒に帰ろ?」
………何処へでしょう、魔界へですか?
思わず心の中で突っ込んでしまいたくなるぐらい…・・・・・・・・どうしよう。コワい。
「なんだよ、お前…」
声を掛けられるショータローを思わぬ所で見直してしまう。
けど…ちょっと危機意識が足りなさすぎよ、アンタ。
敦賀さんは、冷たすぎる微笑みを浮かべると、何も言わずにショータローに近寄り、手に持っていたA4ぐらいの封筒を押し付けた。
「あ?一体なに……………ッ!!!!!!!」
な、なに………?
封筒の中身を確認して、顔色を変えるショータローに敦賀さんが何か囁いたけど・・・・・それは幸か不幸か・・・・キョーコには聞こえなかった。
「行こうか」
「え・・・あの・・・ちょっ・・・」
顔色を無くして呆然と立ち竦むショータローを無視して、蓮はキョーコの手をとって歩き出す。
ショータローの反応が気になるが、それを確認する暇もなく蓮に引っ張られる形でホテルを後にした。
「あの・・・・・っ!敦賀さん、ショータローはどうしたんですか、あの封筒は一体何が…」
「今君の口からあの男の名前を聞きたくない」
「え?」
蓮は固い表情でそれ以上は何も言わずに・・・キョーコをタクシーに押し込んだ。
「どうして黙っていたんだ?」
連れて行かれたのは蓮のマンション。
入って早々に問われた言葉に、キョーコはどう言えばいいのか分からず目を泳がせた。
蓮の声の低さにビクリとする。
頬を冷や汗が流れる。
「…………あの、もう過去の事で、関係ないと思っていたので…」
「本当に?」
「え?」
「本当に関係ない?君が恋愛に対して最初から否定的で、その後もずっと乗り気じゃなかったのは彼が原因だろ?」
言葉に詰まる。
図星だった。
確かに、最初は敦賀さんの事さえ「アイツ」と重ねていた。
その後も、事ある事にその記憶がストッパーとなり続けていた。
敦賀さんは、そんな私に…気づいていた………
思えば、この人は最初からそうだった。キョーコをよく見てくれていた。
あの横浜の夜も、それ以外の日々も。
「………だから、俺も焦らずに君の信頼を得ようと思った・・・・・けど・・正直ショックだったよ…君とアイツの過去も…それ以上にずっと黙っていられた事も……」
苦しげに言う姿に、キョーコはどうしようもないぐらいの罪悪感と胸の痛みを覚える。
蓮にとっては理不尽だとわかっていても、キョーコと出会った時から「隠し事をされていた」という思いがぬぐいきれない。
自分はそんな話をする程の相手になり得なかったのかと……
「君が好きだと何度も言った・・・・俺の想いは少しも君に届いていなかった?」
「そんな事!」
「じゃあどうして!」
荒げられる声に、キョーコは途方に暮れた。
自分の認識以上に蓮を傷つけてしまっていた自分に。
違う
そんなつもりじゃなかったの
傷付けるつもりなんて無かったの…と。
「………君が初めてじゃないと言ったキスの相手はアイツ?」
「…………」
何をどう答えれば蓮をこれ以上傷つけずに済むのかわからない・・・
だけど、答えられない沈黙は肯定となった。
キョーコのその態度に、一歩、一歩と蓮が近づいていく
動く事が出来ない。
蓮の表情が…見えない。
「敦賀さん・・・あの・・・確かに、最初は・・・・そういう事もありましたが・・・今はちゃんと敦賀さんと向き合おうと・・・」
ちゃんと敦賀さんを見ようと・・・・あの時、そう思った。
その気持ちに嘘はない
そして今は・・・・・
「なら……………証拠が欲しい」
「証拠………」
目の前に敦賀さんが・・・すぐ顔をあげれば目の前にいるぐらい近くにあるのに・・・何を望んでいるのか判らなくて、ただ言葉を繰り返す。
何かを望まれているのなら、まだ自分は見捨てられていないのだろうか・・・
「本当に過去の事なのか?本当に俺の気持ちは届いているのか?」
「…………」
言葉にすれば、それを信じてもらえるの?
驚きで固まる・・・・何も答えられないキョーコの態度が、蓮の神経を逆撫でした。
「……………ッ!」
瞬間
もの凄い勢いで抱き締められて、唇を荒々しく奪われた。
蓮の舌が驚く暇もなく遠慮なく入ってきて、自分の舌を絡められて息が上手く出来ない。
「・・・・・・ッ!ん・・・ッんんッ・・・!!」
無意識に・・・蓮に迫られているのに、助けを求める様に蓮のシャツを握りしめていた。
唇ごと食べられてしまうのではないかと思うぐらいの・・・激しいキスに、キョ―コはどう応えたらいいのか判らなくて、なされるがままだった。
お互いの唾液が混ざりあい口からこぼれおちるのを感じると、蓮の唇がそれを辿って首筋から胸元まで舌を這わせていく。
チュッ・・・という音とともに、首筋に軽い痛みを感じると、口から甘い吐息が出て来た。
「ふッ・・・ん・・・・ッ・・・・」
気が付けば自分は床に押し倒されていて、蓮の体の重みとぬくもりを全身で感じていた。
「・・・・・・キョーコ・・・・・愛してる・・・・俺だけを見ていて・・・」
再び深い深い口付を受けながら、蓮の手が身体中を這っていくのを・・・その手がカットソーのすそから入り込んで自分の素肌にふれていくのを、その手が自分の服をどんどんはいでいくのを・・・・・
キョーコは抵抗する事なく受け止めていた。
本音を言えば・・・・心の中で、これで敦賀さんの機嫌が直るのならば、傷つけた事を許してもらえるのなら・・・という打算もあった。
だけど、結局はそんな打算も・・・・この人を想うからのものだから・・・
途中、寝室へ運ばれて・・・・痛みと共に全てを受け入れた時も
後悔はなかった。
翌朝、とても心地よいぬくもりに包まれて、まどろみの中目が覚めた。
目の前にある敦賀さんの寝顔とか、自分たちが何も身につけていない事とか・・・昨夜の出来事とか。
そういえば、揺さぶられて意識が朦朧としている中で、ショータローを追い払う為に携帯番号を教えた事を白状させられて・・・ええと・・・そうだ、携帯を買い換える約束をさせられたような・・・・
あと…何だったかしら…何かイロイロ言われたけど…ダメだわ…頭が働かない。
「・・・・・・・・」
一気に色々現実が押し寄せてきて・・・・考えるのが面倒になった。
取り敢えずはまだ時間があるし、もう少し寝よう・・・と身をよじって・・・自分の体の違和感に気付いた。
下半身が・・・というか、口には出せない部分が・・痛い。
今日・・・バイトどうしよう・・・・・。
途方に暮れるキョーコとは対照的に、目の前ですやすやと眠る蓮の表情は、いい夢でも見ているのか口元を緩ませていて・・・・少し憎たらしくなって、その鼻を軽くつまんでやった。