↓ ワク内は前回と同じです(笑)
今からおよそ80年前、日本はアメリカと
戦争をしていました。
戦争末期アメリカは東京の街を攻撃しました
東京大空襲です。
一晩で10万人が焼け死に、100万人が
重軽傷を負い ました。
発生した火災は約41平方キロを焼き尽くし
これにより100万人が家を失いました。
当時、私は4歳~5歳でした。
記憶に残っていることをブログにしてみました。
戦時下の都会(東京)の片隅で生きていた
少年の 記録です(笑)
防空頭巾(ぼうくうずきん)
爆弾の破片、爆風によるケガを防ぐ帽子です。布と綿で作るんだと思います。
昭和〇〇年〇月〇日
前回、お話しした「学童集団疎開」(がくどうしゅうだんそかい)で人影が減り、街中が寂しくなった。
人だけでなく、家も減ってきたように思えた。
空き家や取り壊す家が増えてきたように思う。
住宅が密集した都会でアメリカ軍の爆弾で焼け死ぬのを恐れて地方に引っ越したのでしょうか
友達と空き家探検に出かけた。
空き家の洋館の窓から女の子がこちらを見ているような気がした(笑)
ドアが開いていたので、お医者さんが引っ越していった家に入った。中はいろいろなものがひっくり返っていた。
もののない時代、カルテルのような大量の白い色の紙が印象に残った。
当時の友達の顔も名前も全く思い出せない。
ただ一人、よくおままごとをした魚屋のみっちゃんだけは憶えていた(笑)
昭和〇〇年〇月〇日
防空壕
地域によって色々なタイプがあったようです。
各家庭では庭に「防空壕」を掘(ほっ)た。
英語でいうと「シェルター」です(笑)
我が家では父親の腰が重く、なかなか、掘らなかったようです。母がこぼしていました。
近所のお巡りさんが見かねて掘ってくれたそうです。
アメリカ軍の爆弾で東京が火の海になって分かったそうですが、手掘りの防空壕は、まったく、効果がなかったそうです。
防空壕に入っていた人たちは「蒸し焼き」になってしまったそうです。
中に入れておいた家財も丸焼けになってしまったとか
*** 次回に続く *********
「いつか、どこかで聴いたような・・・」
♪ 昭和13年のヒット曲
「旅の夜風」 by 霧島昇&ミス・コロムビア
♪ 昭和12年のヒット曲
「別れのブルース」 by 淡谷のり子
♪ 昭和15年のヒット曲
「荒鷲の歌」 by 霧島昇
国威発揚と言うことでなく、純粋な気持ちで散っていった青年達への鎮魂として歌ってあげたいです・・・