東大阪市布施の情報ページ

http://webfuse.jp/default.aspx

布施
 地名の由来

布施地名の由来:布施という地名は、近代にはなく、謎の多い地名であるが、日本全国では、多くあるのも事実
布施の地名の由来は、奈良時代の東大寺大仏建立の時の河内における建立従事ボランティアの福祉施設である「布施屋」であるという説、(現在も布施という意味は宗教的な分野で使用されている)
英語ではFUSEと書いて、ヒューズと読む---「火薬を爆発させる信管、雷管」という意味
参考文献:大門昌博著 「布施の研究」 布施地名発祥由緒考 全国布施地名総覧

足代連合:東足代村の資産管理組織 旧村組織名
足代だんじり:足代だんじり(昭和30年代までは、各村にだんじりがあったが布施駅周辺地域では、現存する唯一のだんじりとなった。このだんじりも平成12年11月には廃棄され、約1億円を投じ、新調足代だんじりへと移行する予定)布施駅南側小屋に常時展示されている。 
http://www.sankyo-kaihatsu.co.jp/newSdan2.htm

長堂(ちょうどう)
長堂会:永和村方長堂村の資産管理組織 旧村組織名
浄光寺:浄光寺(1994年までは現在のビブレ(現イオン)エントランスホール)あたりにあり、現在は、長堂小学校北西側に移転している。大歳神社跡も当時はビブレの同位置にあったが現在は存在しない。

都留彌神社(つるみじんじゃ)

大正3年 永和長堂村、東足代村、永和村、等を含め他に数村の神社を統合し荒川]村地区(荒川小学校の前)に置いたのが起源
現在は、布施駅南北周辺地区全域の氏神となっている。
都留彌神社の名称は、東足代村にあった氏神の名称を各村の合議の上、決定された推移がある
醍醐天皇の延喜10年(910)に大干ばつがあり、天皇もこれをご心配され、河内国の十二社に勅使を派遣され雨乞いをご祈願された。そのとき、神応があって喜雨が至り農民を助けたので、天皇もこの奇跡を喜ばれ親しく御拝あって、都留弥神社の社号を賜ったと伝えられる。

 御祭神は速秋津日子神・速秋津比売神・推古天皇・菅原道真公である。

布施戎神社(ふせえびすじんじゃ

足代村にあった神社で元の名は都留彌神社であったが大正3年に統合され荒川村に移転した。
その神社跡に昭和20年初期に布施戎神社と改名し、布施の戎さんとして、親しまれている。約20年前から「福娘コンテスト」も実施されており、選ばれたミス福娘も戎っさんに参加、1月9.10.11日は年々賑わいを増している。


布施市と東大阪市 1967(昭和42)年2月1日布施市と河内市と枚岡市の三市が合併して東大阪市となる現在人口約52万人。旧布施市における最大の商業集積地は、布施駅周辺