旅日記 東京② 寺社巡り | 花に嵐の☆潤い☆

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輝いているものを見つめる幸せ

神田明神





慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。





摩利支天徳大寺



人が摩利支天の名を知り念ずれば、一切の災厄から逃れ勝利の功徳を得るとして、我が国においては中世以降、武士階級の守護神として摩利支天への信仰が広まりました。楠木正成や足利尊氏、毛利元就や徳川家康などの武将たちは、摩利支天の尊像や旗印と共に合戦に出陣したと云われ、『忠臣蔵』で知られる大石内蔵助も髷の中に摩利支天の小像を入れて討ち入りに臨み、本懐成就を遂げたと伝えられております。まさに、諸難を退け勝利に導く、武門の護り厚き守護神として、町人文化が栄えた江戸時代中期以降には、民衆の間にも摩利支天信仰が盛んとなりました。







おにぎり🍙宿六


99.9season2ロケ地


潤くんが木村文乃さんに塩むすび🍙を作ったお店


さけと山ごぼうとお味噌汁をいただきました

美味しかったです






24hTV 車椅子体験 浅草寺










上野東照宮






1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍が建立されました。1627年(寛永四年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。 1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。



会報 松本潤の私的好奇心


大楠










岡田准一さんに送った白兎





上野東照宮 ぼたん苑






東京駅から皇居方向を望む






東京のイメージと言ってた場所

初めて行きました


駅の目の前なのに


真っ直ぐ伸びた広い道

過去と未来を繋ぐ道に思えました















今日のやっちまいそうだったこと


会報のことをすっかり忘れていたので

普通に上野東照宮の写真を撮っていたのですが

同行の方に教えていただき助かりました


感謝カンゲキです


あのまま帰っていたら

泣いてました( ;  ; )











まだまだ行きたいところはたくさんありますが


またいつか、、、、、







東京🗼、展覧会楽しかった


ありがとう😊